森崎和江について

1961年5月 九州の炭坑長屋で20歳の女性が強姦殺害された。

その年の12月犯人が逮捕されたが、女性の兄は鉄道自殺を遂げた。

妹を守れなかった兄としての絶望、これは弟の自死の経験から森崎にも深い傷を思い起こさせただろう。

 

当時35歳の森崎和江にとってはこの事件をめぐる谷川との亀裂が別れを決定的なものとした。

もっともそれ以前にもある時期谷川が森崎にものを書くことを禁じ、人に会うことも禁止した。

これは上野晴子・英信夫妻とよく似ている。

英信も晴子に対し、非常に支配的であった部分がある。

 

谷川雁森崎和江もともに戸籍上の配偶者がありながら、同人雑誌「母音」の活動を通じて知り合い、谷川は女児、森崎は女と男の幼児を連れ、男児のいる上野夫妻の隣に越してきて、二世帯大人4人、子ども4人の暮らしが始まった。

文化運動誌「サークル村」は1958~61の2年弱で終わった。

谷川と森崎の別れは1964年12月、谷川の死は1995年2月2日、1927年生まれの森崎は存命で10年ほど前に中島岳志との共著「日本断層論」(2011年)をNHK出版から出している。 

これもぜひ読みたい。

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一月ほど前にこの本を読んでどうしても森崎について書きたかった。

本当はもっと他の作品も読んでからの方がいいのだけれど、それだといつ書けるか分からないので。

この本の中に阿部謹也著『「世間」とは何か』(講談社現代新書)について触れた部分があり、森崎はこれを読んで救われたとあった。

阿部謹也は私も私淑する人なのでうれしかった。