袴田巌の差し戻し決定と熊本典道氏の死

※ 昨年11月14日付新聞に小さな死亡記事があった。

ーー熊本典道さん83歳(くまもと・のりみち=元裁判官)11日、死去。葬儀は関係者だけで営む。

1966年の「袴田事件」で死刑を言い渡した1審・静岡地裁で判決を起案する主任裁判官を務めた。2007年に記者会見で「無罪の心証があった」と告白し、袴田巌元被告(84)の再審請求への支援を表明した。ーー

熊本典道氏の死は2020年11月11日、袴田巌氏の差し戻し決定は2020年12月22日、40日遅すぎた。差し戻し決定が熊本氏の死の前なら少しは安らかな旅立ちができたものをと、残念でならない。

熊本氏は22歳のとき、司法試験合格者334人中トップで合格を果たすほど優秀な人物だった。

30歳のとき3人の合議制のため、意に沿わない死刑判決を宣告する。

しかしこれが身を滅ぼすことになる。

つゆほどの良心もない者ならばどうということなく出世街道を歩んだであろうが、熊本氏はこの判決を悔やみ続けた。

判決から間なしに弁護士に転身したが、大酒が原因の離婚、肝硬変の病、続いて前立腺癌を患い晩年の10年間は福岡市で生活保護を受けながら暮らした。

彼のルポルタージュが出版されたら読んでみたい。

熊本氏は袴田氏より2歳あまり若い。

二人にとってあまりに哀しい55年だった。