磯田道史氏の書評欄から

※ 今日の新聞に倉本一宏著「平氏 公家の盛衰、武家の興亡」(中公新書)について、磯田道史氏の書評が掲載されていた。その中に次のような一節があった。ーー幕末の孝明天皇のフンドシを毎日取り換え、布地を貰っていた駿河という女官の子孫を探してみたことがある。桂宮家の諸大夫・生島成房の娘とあり、苦労して子孫を見つけ出してみると、「うちは平家なんです」という。平清盛の甥の系統が許されて京都に帰ったそうだ。孝明天皇は、平清盛の弟の子孫の女性と二人きりで、お手洗いに入っていた。たまげたのを憶えている。(略)平氏は地方に去っていった落人伝説のイメージが強い。しかし平氏は近代まで、宮廷の中枢にちゃんといたのである。ーー磯田氏のみならず誰しもたまげる。

先入観を一掃されるのは歴史を学ぶ快感だ。

 

 

台風11号が接近中だが、明日から9日まで二男が作業に帰ってくる。

8月15日からコロナ感染していたので謹慎していた。