「いま語りえぬことのために」ー死刑と新しいファシズムー 辺見庸著

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★ 「青い花」に続いて8/31の四谷での講演が気になっており、この本を読んだ。
私は死刑廃止にもう一歩確信が持てなかったが、これを読んで確信に変わった。
ページを追って印象深いところを書き抜く。
 
※ わたしたちは生得の諸権利のほとんどを、資本が主体となった社会システムに、それと気づかずに、奪われつつあるか、もしくはいちじるしく殺(そ)がれつつあるだろう。
まっとうに生きる権利、まっとうでなくても、せいぜい一介の生物として存在する権利、抗う権利、知る権利、否定的思惟を深める権利、ただじっと黙して存在する権利、視る権利、視られない権利、・・・・がすでになくなったか、危機にひんしている。
なかんずく、<メディアによって語られることを一言も信じない>という、権利の中でも最後の、頑固で高度な権利は、そう強いられたわけでもないのにみずから武装解除するように、資本が主体となった社会システムに簡単にさん奪されてしまった。
わたしたちはかくして、いかがわしさを全面的に受け入れることによって、公式にはかならずしもいかがわしくはないとみなされるけれども、実質的には条理のかけらもない、死刑を当然とする社会に、うすうすおかしいと知りつつくらしている。
 
※ 獄内の彼(大道寺将司)には獄外に充満している「すさみ」がない。
いま、獄外の善、善魔くらい気持ちの悪いものはありません。
 
※ 文化が文化として普遍性をもとうとするならば、既成の習慣的文化と戦い、国家と国民の幻想から脱する必要がある。 これを破るのは「個」でしかない。 世論の力ではない。
 
※ ファシズムの培養基・・・殯の宮(蝋燭1本で1ヶ月死体に付き添う)
中野重治・・・天皇天皇制から解放せよ
藤田省三・・・純粋な天皇主義者はおらず、天皇制的俗物がいる(天皇制利用主義者)
 
※ みんなNHKの「花は咲く」をうたって、どうするんですか?
 
※ きょうお集まりの皆さん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。
「ひとり」でやれることをやる。 じっとイヤな奴を睨む。 おかしな指示には従わない。 結局それしかないのです。 われわれはひとりひとり例外になる。 孤立する。 例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦い続けること。 これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。
 
※ 1960年代前半、ハンス・マグヌス・エンツエンスベルガーは言った。
「死刑の廃止は、究極まで考え抜けば、国家の本性を変革することにもなろう」
 
※ わたしたちは被処刑者の救いない最後の抵抗、泣訴、号泣、叫び、苦悶、頸骨が破砕される音、ときにはからだからほとんど破断されてしまう首、飛びちる鼻血、脱糞、飛び出す眼球、流れる体液・・・を、見ず、聞かず、嗅がずにすむ。
注・・・1997年8月1日に永山則夫の刑が執行された。 このときのことについて大道寺将司が書いている。――8月1日(金)の朝、9時前ころだったか、隣の舎棟から絶叫が聞こえました。 抗議の声のようだったとしかわかりませんが、外国語ではありませんでした。 そして、その声はすぐにくぐもったものになって聞こえなくなったので、まさか処刑場に引き立てられた人が上げた声ではないだろうなと案じていました。――
 
※ ウーミーユーカバーミーズークカバネー
ヤーマーユーカーバークーサームスカバネー
オオキミノーヘニーコソシナメー
カエーリミハーセジー
海をゆけば、水につかった屍となり
山をゆけば、草のむす屍となって
大君のお足もとにこそ死のうではないか
後ろをふりかえることはしない・・・
注・・・林光の作詞・作曲による『太陽の旗(旗はうたう)』では以下のようになっている。
1. むかし 神だった人の 命令で
   男たちが 戦場へ 向かうとき
   太陽をえがいた 旗をふり
   人びとは 歌ってた
  ♯海で死んだら 水ぶくれ 山で死んだら 草ぼうぼう
2. むかし 神だった人は 生きのこり
   男たちは 帰ってこない
   かわりにもどった 箱のなかの
   石ころが 歌ってた
  ♯ 繰返し
3. むかし 神だった人の 子や孫に
   いまもふられる 太陽の旗
   死んだ男たちの 血でえがかれた
   旗は 歌ってる
  ♯ 繰返し
 
※ 日本社会はオウムについて真剣に知りたがらなかった。
なぜならば、オウムを突き詰めて考えると、われわれの自画像が浮かび上がってくるためだ。
 
※ 平和性を自己申告して、千数百万人から二千万人が殺されたアジアの人たちの誰が信用しますか。
好戦的な国か、平和な国かは他の国が決めること。
旭日旗に対する恐怖は彼らに焼き付いている。
相手の恐怖に対する想像力を著しく欠いている。
 
※ 福島だって「花は咲く」どころじゃないんだよ。
非人間的実相を歌で美化してごまかしている。
被災者は耐え難い状況を耐えられると思わされている。
 
※ NHKの「八重の桜」や「坂の上の雲」のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。
 
※ 朦朧としたことどもをさも鮮明に映し、明晰に語ること。 澄明で流ちょうな嘘の洪水に、わたしたちの目と耳と舌とはもう疲れている。
 
※ おそらく、わたしたちは「視界良好」と「万事明白」、「画像・音声ともに鮮明」、「予測可能」、「誤差僅少」の世界の真っ赤な嘘につとに気づいているのであり、むしろ空無をそっちょくに空無とし、黯然を黯然とする感性閾と言語閾に棲まいたがっているのではないか。
 
 
★ 今日は午前中、山にも行ったがもう疲れたので後日書く。