やっと平常にもどる

8/29~9/7、サハリンへの旅のため家を空けていた。
たまった雑用がやっと片付いてきた。
でもスーツケースの中身はまだ放り出したままだ。

9/1(月)
移動日。コルサコフ港のイミグレーションは重々しい雰囲気だった。取り締まられているという感じが強くする。
ホテルの部屋は、シャワー室とトイレが共同の2部屋仕立てで、取りつきの部屋に入り、ドアノブに選択紐をかけ開けたままで寝ていたわたしと娘は、深夜から早朝にかけ、チェックインしたロシア人客に4度ほど起こされる羽目になった。

9/2(火)
ユジノサハリンスク見学。
いろいろ見学するが、印象に残ったのはチェーホフ記念館のみ。ドイツ人みたいなロシア人職員が、硬い早口の英語で解説していく。
総勢17名が食事できるレストランがなかなか見つからず困った。
日本ならタダで出てくるコップ一杯の水が5ルーブル(30円くらい)した。
夜行列車に乗り込むまでの自由時間に本屋へいき、お目当てのサハリン地図を買う。

9/3(水)
ノグリキ見学。
期待していた少数民族の今の生活のありようが取材できず残念。
油田の実態に驚く。実に前近代的で細々としている。
昼食に入ったレストランで、隣の現地労働者のテーブルは電気が暗く、電力不足を強く感じた。

9/4(木)
ユジノサハリンスクへ戻り、バスでホルムスク見学。
製紙工場の廃屋群と青い空は、当時のイメージを湧き起こした。

9/5(金)
帰国移動日。
稚内港の外国人用イミグレーションにいた職員は、愛想が悪く入国カードを次々に突き返し、書き直しを命じている。もっと普通に対応してほしい。

強制連行され、どこにも帰国できずにいる朝鮮人の聞き取りができずに残念だった。
関空から梅田へのバスの中で、こんなに政治がうまくいっておらず、税金の無駄遣いが多い日本で、これだけの社会資本整備がおこなわれている。政治がうまく機能すれば、どんなに素晴らしい国ができるだろうかと思った。