The letter of the last of my uncle killed in action

3か所の墓参と丸亀の母の実家・まんのう町の母の姉宅を訪れた。
認知症が出ていると聞いていた母の姉は思ったよりも元気で、受け答えもしっかりしていた。

この伯母さん宅で戦死した伯父に関する驚く資料が得られた。
まず、伯父が母親に宛てた最後の手紙を今日は掲載したい。

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お母さん、私は急にお母さんに手紙が書きたくなりました。
今晩海の彼方から静かに昇った円い清らかな美しいお月様を眺めて、何故か故郷のお母さんの事が想ひ出されてなりません。
お母さんは今頃何をして居られるでせうか、忙しい此の頃わけて兄も應召の後、妹達を相手に朝早くから起き出て、田に出て働いた疲れでもう夢の世界にお入りになって居られるでせうか。
私は今訓練のため陸地一つ見えない波又波の海上に出て居ります。
今晩は割合に海上は静かで、此のお便りも楽に書く事が出来ます。

お母さん、やさしいお母さん、私は幸福です。
祖母を始め両親は元気だし、兄妹もぴちぴちしてゐるし、家の皆が良く留守を守ってくれるので何一つ心配もせず、思ふ存分軍務に精励する事が出来るのですもの。
でもお母さん本当に御苦労様です。
毎日々々大変でせう。
毎日々々真黒い土を相手に闘ってゐるのですもの。
私はこれを思ふと日々の苦しい訓練も楽になり何でもなくなります。

私の休暇の帰へる度品物の少ない片田舎で種々御馳走を作ってくれ、帰艦時は赤いおこわ飯を折箱にぎっしり詰めて下さったやさしいお母さん、自動車に乗ってお母さんとお別れする時感謝の気持で胸がいっぱいでした。
こうして遠く御両親に別れてゐると余計に御恩がしのばれ、それだけに思ふ心も一杯です。
海と空の見境がつかない此の大洋に円く大きく輝くお月様、やさしいお母さんそっくりです。
唄の文句じゃなけれども、月が鏡であったなら・・・母のお顔を撮してみたいものです。

お祖母さん、お父さん、妹達も元気でせうね。
私には故郷の皆様が元気で何日も何日も私を迎へてくれることが、何よりも嬉しいのです。
私が家に帰へった時一人でも居られない時は、どんなに淋しく悲しい事でせう。
皆様何卒御達者で暮して下さい。

お母さん 此の手紙が着いたらお忙しい事でせうが、やさしいお便りを下さい。
澤山の便りの中で、母から来る便り程嬉しいものはありませんから・・・・。

やさしいお母さん、私は元気で朗らかですし毎日愉快に働いて居ります。
分隊の人からも「○○は良くやる」とほめられて居ります。
苦しい時はお母さんを思ひ出すのです。
そうすると、何くそっと元気が湧いて来るのです。
ではお母さん 今晩はこれにてペンを置きます。
御気嫌ようお休みなさい。   サヨウナラ

十一月六日晩 航行中

やさしい母の御下に   ○雄より
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便せん3枚に美しいペン字でつづられている。
古くなっており、ところどころ穴があき、和紙で裏打ちされている。
母親が「母」の文字が出てくるところに、赤ボールペンで数字を書き入れ、17個を数えている。

その他にも乗船していた駆逐艦の戦闘記録・平成4年の銘碑建立記念に出された駆逐隊会報などが保存されていた。
それはまたの機会に書こう。