アニメ映画『風立ちぬ』

★ 昨日の新聞に堀辰夫の特集記事があり、宮崎駿作品を見に行く気になった。
 
141分の作品だがさほど長く感じなかった。
いくつか印象に残るシーンがあった。
 
※ 主人公の二郎はサバの煮つけが好きで、腹骨のフォームから飛行機の部品の形状を思いつく。
 私の子供のころ魚と言えばサバといってもよいほど、サバをよく食べた。
 1930年代でもサバの煮つけは一般的なおかずだったことがうかがえる。
 
※ 菜穂子が療養所を抜け出し、二郎が居候する黒川課長の離れにやってきたとき、黒川夫妻の媒酌で急きょ祝言を上げることになる、その折の媒酌人の口上がわたしには物珍しいものだった。
 
※ 飛行機の設計技師である主人公二郎に特高警察の影がちらつき始める。
911~45の間機能し続けた特高はこの時代の作品に頻繁に出てくるが、その度にドキドキする。
 
※ 八ヶ岳山麓の富士見高原療養所で、菜穂子が結核療養しているシーンがある。
雪がちらつく寒い中、全員外に出したベッドで寝袋状の布団に入っている。
実際、堀辰夫の療養中も同様の写真があり、外気に触れていることがよほど重要視されていたと思われる。
 
ポール・ヴァレリーの詩の一節 ――風立ぬ、いざ生きめやも―― の解釈について。
『生きめやも』の部分は反語になっており、「生きる必要があろうか、いやありはしない」という解釈ではこの映画は成り立たない。 『生きめやも』ではなく『生きざらめやも』の訳が正しいようだ。 つまり、これだと「生きない方があろうか、いやありはしない」となり、「生きなくてはならない」というわけで映画のメッセージと合致する。
 
二郎が心血注ぎ完成させたゼロ戦が、多くの若者の命を奪い、彼のあこがれと反対方向の効率社会に突き進んだという矛盾、これも宮崎駿自身の矛盾と重なるのかもしれない。
 
映画を観終わると、宮崎駿の最後の作品というのも納得する。