「ポストコロナの生命哲学」集英社新書
※ 福岡伸一(生物学)伊藤亜紗(美学)藤原辰史(歴史学)の3人の鼎談からなるこの本の中に、「漫画版『ナウシカ』の問いかけ」という30ページほどの章があった。
映画版がハッピーエンドに対し、漫画版では過酷な旅の果てに「シュワの墓所」へ行き着く。
そこは人間が再び文明をやり直すための準備が隠された場所だったが、ナウシカは巨神兵オーマの力を借りて徹底的に破壊する。
新書はピュシス(自然)とロゴス(論理)という2つの大きな命題の絡まりを解明して行くのだが、宮崎駿はロゴス化しすぎた世界がまた「火の7日間」の再来を意味することに警鐘を鳴らしたかったのか?
墓所へ行く途中訪れた「庭」は完璧に調和した綺麗すぎる世界だが、皆が同じような生き方をするデストピアだと藤原辰史は指摘する。この指摘を読んだ時、永遠の命や楽園を唱えるエホバの証人が頭に浮かんだ。
生命空間にある偶然性がたとえ人間に対して危害を加えるとしても、そうした偶然性と共に私たちは生きて行くしかない。だから偶然性を消していく「墓所」はやはり破壊しなくてはというのがナウシカの選択だったと藤原は指摘する。
私が患った水頭症もこれをロゴスで捉えようとするのは間違いで、ピュシスとしての自分の体を受け入れるという考えに惹かれる。