殿山泰司さんについて

以前のブログに書いたことがあるが、好きな映画を5本あげろと言われれば、その中の1本に「裸の島」がある。
これは出演者はほとんど、殿山泰司音羽信子二人だけの無言の映画だ。

この作品の舞台裏が殿山著「三文役者あなあきい伝」に書かれてあるということで、図書館で借りた。
準備してくれたのはちくま文庫のPART1で、わたしが探している部分はPART2に書かれてあるようだが、この1もなかなか面白いものだった。

殿山は1915生まれで、わたしの夫の父(1914生)と同世代。
二度の召集を受けていることも義父と同じで、彼は1941初夏と1942春。
彼の3歳下の弟(こうちゃん)は、泰司(たいちゃん)の二度目の召集の後召集され、インド・ミャンマー国境近くのインパールの泥の中で、1945.7に戦死している。享年26か27歳だ。

泰司の父は瀬戸内海の生口島生まれで、忠海中学を出ている。
「裸の島」が撮影された宿祢島はすぐ近くなので、感慨深いものがあっただろう。

泰司は1989年に73歳で亡くなり、わたしの義父は2004年に89歳で亡くなった。
同じ時代の空気を吸い、同じ中国戦線に従事し、内地では全く違った生活をした二人。
義父は土にまみれ、農閑期には工事人夫として働き、二人の息子を育て、家を建て農地を増やした。
泰司はおでん屋の息子として東京のど真ん中に生まれ、奥さんの弟妹の面倒をみながらも豪快に生きた。
女郎買いで淋病に苦労したようだが、悲愴感はない。
文中に「日本帝国の糞野郎!」、ゆきゆきて神軍奥崎謙三の「ヤマザキ天皇を撃て!!」などが何度も出てくる。
義父は亡くなる少し前、自宅裏にある集落の神さんを祀ってある祠の手水鉢が壊れているのを気にして、5万円だったかを出して、新しいのを作った。満足そうだった。自分のために5万円を使ったことなど生涯ないような人だった。

大正末期から昭和にかけての東京での庶民の生活がうかがえ、楽しく読んだ。
PART2が楽しみだ。