日本海軍駆逐艦「響」

先日二男に戦死したわたしの伯父のことをメールしたら、乗船していた駆逐艦は「響」ではないか?と返信があった。

ウィキペディアによると、『「響」は1942.6.12キスカ島占領作戦中、米海軍機PBYからの至近弾により艦首に損害を受け、僚艦「暁」の護衛を受け大湊に帰投した。』とある。

伯父の墓石には『乗船していた駆逐艦が爆撃され、1942.6.23アリューシャン方面にて死亡』とある。
つまり伯父が響に乗っていたならば重傷を負って、11日間生きていたということになる。
海上で亡くなった兵士は水葬にされたのだろうか?
遺品があったことは聞いてないが、わたしの祖父母つまり伯父の父母は、どの程度のことを聞いていたのだろう。
海上での戦死だから遺骨がないということは子供のころから聞いていた。
しかし船が沈没してなければ、遺品は数多くあったはずだ。
今となっては知る手がかりはない。

しかし、「響」に乗船していた可能性が高いことは新たな発見だった。

わたしの親の世代は太平洋戦争で亡くなり、夫の世代はベトナム戦争で亡くなり、こどもの世代はコソヴォ紛争で亡くなった。