鶴見俊輔「限界芸術論」より

賢治の「気のいい火山弾」のベゴという丸い石。いつもみんなにさげすまれ、ばかにされている気のいいベゴ。ある日東京帝国大学地質学教室の学者によって、火山弾の典型として、教室に運ばれていく。『わたしどもは、みんな、自分でできることをしなければなりません。』ということばを残して。

「オッペルと象」の白象。善意だけしかもてない白象は、頭のいい有能な資本家オッペルにこき使われ、死の寸前に仲間によって助けだされる。

雨ニモ負ケズ」のデクノボー。

これらのベゴ・白象・デクノボーを、存在としての芸術の形を表現していると、鶴見は言う。


何年振りかで実をつけた柿を6個収穫する。ずっと実をつけても熟れる前に落ちてしまっていたが、隣にあるレモンの木を少し低く切ったので、今年は実ったのだろう。