Mt. Hongu in Higashikagawa(340m)

☆ 用事を済ませて、10時半ころから本宮山へ向かう。
出発してすぐ、デジカメを忘れたことに気付いたが、まあよい。
水主コミュニティセンターに車を置く。

登山口にはたくさんの新しい杖が用意されてあった。
登り始めてすぐに、Tシャツとベストだけなのに汗が出てくる。
今日は気温が高かった。今でも部屋は20℃ある。

尾根に出ると、「中間地点」と書かれたあたらしい表示板があった。
頂上に着くと、東側の木々が伐採されとても眺めがよくなっている。
大内ダムや三本松港が見渡せ、正面には虎丸山がどっしりと見える。
社の前に熊手の跡があり、小屋の中の登山者ノートを見ると、昨日10名の方が整備の登山をされていた。
ちょうどよい時に登ったわけだ。
感謝の言葉をノートに書き、下山する。


☆ 録画したHV特集「中国残留孤児姉妹」を見た。とてもよい内容だった。
1940年、長野県に住む夫婦と娘3人の5人家族が満州へ入植する。長女は7歳で、三女はまだ赤ん坊だった。
’44年父が出征し、’45.8のソビエト侵攻で母と娘たちの逃避行が始まる。
’45.暮、母は4人が生きるため長女と次女をそれぞれ別の中国人に託す。
母は三女を連れ農家の中国人と再婚し、女児をもうけるが、養父は間もなく亡くなり、母も過酷な労働で’60に48歳で亡くなる。

出征したまま連絡が途絶え、亡くなったと思っていた父は長野に復員していた。

残留日本人の集団帰国は’50年代から始まるが、長女は’61年に結核で亡くなる。(享年28歳)
次女は恵まれた中国人養父母の元で育ち、医師として働いた。
三女は貧困の中、小学校にも通えず、読み書きもできないまま、姉への手紙は夫が代筆する。

’86年事故で息子を失った次女は、46年ぶりに一時帰国し、出征で分かれて以来42年ぶりに実父に会うが、わだかまりは溶けなかった。再会の2年後父は死去。

三女は中国人の夫や子供と共に、2000年に日本へ永住帰国し、中国の姉に手紙を出し続ける。
ずっと自分は中国人と自覚してきた姉は、今年2009年夏、妹の住む日本に夫と共に永住帰国を決意した。
姉妹は73歳と70歳になっていた。
とても重い人生を歩んできた二人。空港に迎えに行った妹は、ゲートから出てきた姉を見つけ、おいしい漬物を漬けたから食べようよと言う。肩を組んで歩く二人の後姿を見て、この姉妹ならきっと楽しい余生を送れると思った。