石鎚山(別名日内山・・ひうっつあん.さぬき市.198m)

★ 地震で確認したのは、日常を大切に生きるということ。
温かいものをたっぷり食べて、十分に眠るために帰ってきた娘だが、少しは運動も必要なので、志度石鎚山へ登った。
 
イメージ 1 山頂の登山ノートに記録を書きとめる娘。
いつもほとんど着替えを持たずに帰るので、上から下まで私のを着ている。
 
午後から雨の予報なので、8時過ぎから登ったが、霞んでおり、眺望はいまひとつよくみえない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2 198mの山頂表示。
 
この山の登山口に霊芝寺(れいしじ)という寺があり、高松藩2代と9代の藩主の墓がある。
 
寺の説明板によると、初代高松藩(12万石)主松平頼重は水戸徳川初代藩主頼房の長男であるにもかかわらず、高松藩主となり、三男の光圀が2代水戸藩(28万石)主となった。
光圀はこのことを気にかけて、自分の息子(頼常)を兄頼重の養子にし、兄の息子綱方(早世)・綱條を自分の養子に迎え世継ぎとした。
 
そのために、霊芝寺には光圀の実子2代高松藩主頼常の墓がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
★ 登山後、東京で手に入らない状態の乾電池を買いに行く。
なんと○ーズ電気にも電池の在庫はとても減っており、特に単1は全く無くて驚いた。