『昭和史 1926~1945』 半藤一利著

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 読了するのに10日以上かかってしまった。
 
満洲獲得に狙いを定めてからポツダム宣言受諾までの昭和前史を講義した通史だ。
 
特に、ミッドウェイの戦い以後の多くの戦死者が、何のために死ななければならなかったのかを改めて想い、その無念さを生かすにはどうすればいいかを考える。
 
また、司馬遼太郎ノモンハン事件についてのエピソードが末尾にあり、わたしの抱いていた疑問が氷解したので、抜書きをする。
 
 
司馬遼太郎ノモンハン事件を小説に書くため、長年資料を集めたり、取材をしていた。
その中で、事件のたった1人の生き残りと言ってもいい、須見新一郎という歩兵26連隊の連隊長に会って、じっくり話を聞いた。
以下はp516~517の抜書き


 ところがあるとき、司馬さんの東大阪のお宅に伺って、また少しノモンハン事件の話をぶり返したことがあります。
やはり「その話はなしにしよう」と強い口調で言われましたが、それでも食い下がると、「実は書けないんだ。書けない理由が一つあるんだ」と言って、一通の手紙を見せてくれたんです。「読んでいいですか」と聞くと「いい」と言うので読みますと、先ほど少し申しました須見元連隊長からでした。
 文面を全部記憶しているわけではないので大意だけ申しますと、「私は司馬さんという人を信じて何でもお話ししたが、あなたは私を大いに失望させる人であった。したがって、今までお話ししたことは全部なかったことにしてくれ。私の話は全部聞かなかったことにしてくれ」という趣旨でした。
 その理由は、「あなたは『文芸春秋』誌上で、瀬島龍三大本営元参謀と実に仲良く話している。瀬島さんのような、国を誤った最大の責任者の一人とそんなに仲良く話しておられるあなたには、もう信用はおけない。昭和史のさまざまなことをきちんと読めば、瀬島さんに代表されるような参謀本部の人が何をしたかは明瞭である。そういう人たちと、まるで親友のごとく話しているのは許せない」といったことでした。この手紙を読んで、あ、これで司馬さんはノモンハンを書けないなと思いました。というのは、想像ですけれど、司馬さんが書くとすれば多分、その須見元連隊長--ノモンハン事件の最初から最後まで第一線で勇猛果敢に戦った方で、しかも上層部への批判には容赦がなかった。しかしながら、戦死しなかった、というとおかしいのですが、生き残ったために、その後、さながら卑怯者よばわりされて、陸軍から追われたんです。その事態が既に、当時の陸軍は何をしているのかということの証拠ですが、ともかくそういう立派な方です--を主人公に、いわゆる司馬さん好みのさわやかな、批評精神をもった軍人として書かれたのではないか。ところがその方から絶交状を出されてしまっては、ついにお書きになれないのではないか--


 
あくまで著者の推測として書かれているが、私はとても納得できた。