むのたけじ その1

★ 今、むのたけじの『たいまつ十六年』を読んでいる。
 
自らの戦争責任をとり朝日新聞を辞めたむのたけじが、郷里秋田県横手市で昭和23年2月に創刊した週刊『たいまつ』が、30年後に休刊されるまでの前半16年間の抜粋が掲載された書物だ。
昭和25年2月3日の記事を長くなるが、そのまま引用したい。
 
――いま摩天楼のそびえるニューヨークも、そのころは人口が八千余、横手の三分の一ほどの小さな港町であった。 二百二十五年前、そこはまだイギリスの植民地で、イギリスから赴任してきたばかりのウィリアム・コスビー総督は、私腹をこやすことにだけ夢中になっていた。 町に「ガゼット」という週刊新聞があったが、権力者の鼻毛のチリをはらう記事ばかりのせていた。 住民たちは「ほんとうのことを知らせる新聞を読みたい」 「正しいことを怖れないで発表する新聞がほしい」 とねがうようになった。 町の有志は総督の悪政とたたかわねばならないと決意し、力をあわせて、「ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル」 という週刊新聞をおこし、発行の仕事を印刷屋ピーター・ゼンガーにまかせた。
 ゼンガーはドイツ系移民の子で少年のころから印刷工として苦労をなめたが、人間の正しい権利はどこまでも守られねばならないと信じていた。 新しい週刊紙の仕事を喜んで引き受けたゼンガーは、詩の形式の文章でコスビー総督の悪政をするどく攻撃した。 真実に忠実であろうとするその新聞は、たちまち町民に深く愛されたが、それだけに総督はカンカンになって怒った。 そして何の取り調べもしないでゼンガーを牢屋につないだ。 指示された保釈金はゼンガーの全財産の十倍以上にものぼる金額だったので、家族も友人も手の打ちようがなかった。
 捕われて数日後、家族と印刷所の人たちがやっと面会をゆるされたが、ゼンガーは牢獄の小さな窓から 「わたしのことは心配するな、ジャーナルを守れ、ジャーナルを絶やすな」 と面会にきた人たちを逆に力づけた。
ジャーナルは一回休刊しただけで発行を続け、読者はその地方一帯にふえていった。
 やがて彼の裁判される日が近づいた。 ニューヨークじゅうの人たちは 「新聞の自由をまもろう」 「ゼンガーを見殺しにするな」 と叫び、女こどもまで彼の味方となり、みんなでカネを出しあって町にいた二人の弁護士をゼンガーのためにたのんだ。 ところが、横暴な総督は公判直前に二人の弁護士の開業資格を取り消して出廷できなくした。
 ゼンガーの裁判は新大陸じゅうの話題になっていた。 公判の日、法廷の傍聴席は労働者や農民でいっぱいであった。 十二人の陪審員を見おろす場所にコスビー総督の威ばりくさった顔も見えた。 裁判長が、総督にうやうやしくお辞儀をして開廷を宣しようとしたとき、裁判官や弁護士の出入りするドアがあいて、八十歳に近い老人がはいってきた。 みんなこの老人に目を注いだ。 アンドリュー・ハミルトン―大陸で最も尊敬された英帝国のどこの法廷にも自由に出席できる権利を与えられていた老弁護士が、フィラデルフィアから十数日のつらい馬車の旅を続けて、いまそこに到着したのであった。
 検事が立って 「ゼンガーは新聞にデタラメの記事を書いて総督の名誉を深く傷つけたから、重罪に処すべきである」 と論告した。 ハミルトン弁護士はしずかに応酬した。 「ゼンガーの書いた記事がデタラメであることを立証できるなら、彼に罪のあることを認めよう。 しかしだれも立証できない。 ゼンガーの書いた記事はすべて真実であるから・・・・それゆえゼンガーは無罪である」。 裁判長は、総督が顔色を変えたのをみると、あわてて 「しかし、たとい記事がホントでも、他人に迷わくをかければ罪になると本官は解釈するものである」 といった。
ハミルトン弁護士は、前よりすこし語調をつよめて、しかし教えさとすように次のように言った。 それは偉大な言葉であった。
 「人間がしいたげられたときに不平を言うのは、自然のことである。 それはすべての自由な人間の権利である。 人間はだれでも、統治者の政治について遠慮なく意見をのべる権利をもっている。 権力の地位にある者について論じ、かつ書くことは自由でなければならない。 もしもこれらの権利をもつことができなくなれば、人間はドレイになるだけである。 いまここで裁かれているのは、一人の気の毒な印刷屋の運命ではない。 すべての自由な人間の運命が審判を下されようとしているのである・・・・・」
 ―ゼンガーはえらい。 ハミルトンもえらい。 しかし、このような人はコスビーがあり得るごとく、あり得る。 十二人の陪審員はどうであろうか。 いや、この物語で真に偉大なものは、暴君のもとでゼンガーを守りぬいた、そしてあらゆる記録をしらべても唯の一人の名前も発見できない当時のニューヨークの八千人の町民である。 十二人の陪審員はあり得るかもしれない。 しかし、この無名の民衆はどうであろうか。 「たいまつ」 創刊二周年をむかえて、読者と共に考えたいことである。 ――
 
これを読んだとき、コスビー総督と安倍晋三がダブって見えて仕方がなかった。
というのも、2001年NHKで放映された『女性国際戦犯法廷』の番組に対する、安倍晋三と故中川昭一による政治介入を思い出したからだ。