葛原法生(くずはらのりお)について

★ 彼は昭和6年(1931年)生まれ、存命なら今年82歳だ。
昭和29年(1954年)5月2日、大阪に住む22歳の大工だった彼は、時の総理大臣吉田茂の命を奪うべくジャックナイフを持って東京へ向かった。
翌5月3日、大磯の吉田邸に侵入するも警備員に捕らえられ、襲撃は失敗する。
 
昭和29年という年を見ていると、昨今の状況ととても似ている。
年頭に参賀に訪れた人々の多くが死傷した二重橋惨事、新興金融機関の破滅、2月の造船汚職、4月には7歳の幼女が暴行扼殺され、9月には青函連絡船洞爺丸の沈没、最大の恐怖は3月にビキニでの水爆実験で死の灰をかぶった第五福竜丸事件と9月の久保山愛吉さんの死、政府の町村合併政策の推進と続く。
 
造船疑獄は、検察庁が与党自由党幹事長佐藤栄作(安倍晋三の大叔父)に対し、収賄罪の嫌疑で政府に逮捕許諾請求手続きを求めたが、吉田茂法務大臣に指揮権発動を指示し、佐藤栄作の逮捕を中止させた。
この前代未聞のワンマン総理の指示は、権力犯罪の多くが闇から闇に葬られる前例となる。
 
このような世相の中、葛原青年は吉田茂の暗殺を決意することになる。
私が60年前の青年の名を知ったのは、むのたけじさんの 『たいまつ16年』 という著書だった。
 
現在は収束はおろか汚染され続ける放射能の恐怖の中、原発再稼働への動き、海外への原発輸出、無差別殺人や隣近所の人たちへのテロなど、政治を変えようという動きではなく、国民の不満は全く関係のない人々へのこのような個人テロとなって表れている。