鵜羽神社を左に見ながら住宅街を進みここまで来たが、説明板と石碑の間を進むと尾根の登山道に出てしまうので、写真の右手の方に進んだら、道がなくなった。
藪漕ぎをしながら急な上りを進むと、バス停から1時間半かかってガードレールをまたぎドライブウェイの仙遊橋手前によじ登った。
車道から眺めると駐車場に私の車が見えたので、ほぼ直登したようだが、実際はイノシシの堀穴を避け、進路を塞ぐ枝を切りながらなので、なかなか進まない。
これは遊歩道の南から北を見たところだが、左の
ソーラーパネルの後ろに小さなリボンが見え、ここを入っていくと南嶺三角点に行ける。
右手は鳥の説明板で、奥に小さく見えるのは、東大で英語教師をしていた
エドマンド・ブランデンが戦後妻と
屋島を訪れた時に読んだ詩が書かれている。
南嶺三角点。
下り道を探しているとき、瀬戸内海の生い立ちの説明があった。
500万年前、150万年前、6千年前の概図がある。
『
屋島古道浦生へ がんじんの道』と書かれたこの案内板をみつけたが、下り口がなかなか見つからなかった。
この写真奥が下り道へのとりつき。
結局とりつき道からの途中、浦生バス停に向かう道もわからず、ここに出た。
浦生より600mほど南の浜北地区。
ここから北の浦生地区に向かう道はないので、いったん南に進みUターンし駐車場に戻った。
帰宅したのは13:30で、上りも下りも正確な道を歩けなかった。