旧満州その1

★ ハルビンでの第一夜から喉の痛みがあった。

イメージ 1
満鉄社宅跡(現在も使われている)前を歩くツアー参加者。
マスクで防備している。 とにかく埃っぽく風も強いし、大気が汚染されている感がある。
わたしはまあ大丈夫だろうと、マスクなしでうろうろしていたら、後で困ることになった。

ツアー7日目の最終日は、声が出ず微熱もあり、午前中の観光はせずバスの中で横になっていた。


イメージ 2
アジア最大といわれる石畳の目抜き通り(中央大街)を歩くハルビンの若者たち。
1924年建設とあるので、100年近くなる花崗岩で敷かれた道だ。


イメージ 3
ハルビン市の中央を松花江(スンガリ川)が流れている。
大きな船の航行が可能な国際河川で、写真奥に東清鉄道が見える。
東清鉄道というのは、ロシアが建設した鉄道路線で、ウラジオストクからハルビンを経てシベリア鉄道へと続いている。
この写真は松花江南岸のスターリン公園から撮ったもので、川は奥へと流れている。
この先北へ向かって、松花江黒竜江ウスリー川と3つの河川が運んだ堆積物で、三江平原という湿地帯が作られ、そこでは春小麦が多く産出されているが、文革時代下方された都市青年たちによって開拓された。 
下方された青年たちは私と同世代の人々だ。


★ 帰宅したらパソコンの調子が悪く、体調不良だが仕方がないので、高松まで修理に持って行った。
何のことはなく、店員はバッテリーを一度外し入れ直したら直った。
調子がおかしいときはこういう風にリセットすると、直ることがあると教えてもらった。
その日のうちに直ってよかったけれど、家に着いたらしんどくて寝た。
そしたら変な時刻に目が覚め、ブログを書いている。

一昨日病院に行ったら5日分の薬がでたので、飲み切るころには回復するだろう。