南京事件
とても驚いたことがある。
それは当時18歳で、現在96歳になる大阪在住の第24駆逐隊「海風」の信号兵による証言だった。
海軍は揚子江を遡り、南京戦に参加していたというものだ。
--1937年12月18日、午後2時頃から射撃音を聞いた。
銃殺は連日続いた。 上海では死体を積んだ筏が4隻流れてくるのを見た。
佐世保に戻り、南京でのことは決して口外しないように海軍士官から注意を受けた。--
ニューヨークタイムズの記事には、
1937.12.18付で、「捕虜全員を殺害、民間人も日本軍に殺害され、南京に恐怖が拡がる」
1938.1.9付で、「市民も犠牲、中国人死者3万3000人に」
などが掲載されている。
大きな川の岸近くに、防寒着を着た多くの折り重なった死体を撮った写真が残っている。
対岸奥の山並みをトレースすると、南京中心部北の揚子江岸から撮った取材班のカメラが捉えた山並みとぴったり一致する。
私の伯父は証言者と同じ第24駆逐隊の「山風」に乗船していた。
山風の乗組員は全員1942.6.23に亡くなっているので、生存者はいない。
駆逐隊は通常4隻で動いている。
果たして伯父も南京戦に参加していたのだろうか。
読まねばと思う。
この番組の再放送は、明日10/11昼11時~BS日テレであるようだ。
見てほしい。
★ 昨日午後、中学時代の友人4人がやってきた。
近くの料理屋に昼ご飯を食べに来たので、我が家に寄りたかったのだという。
4人のなかで、今も私と連絡を取り合っているのは1人だけで、あとの3人はその1人と日頃交流がある。
歳をとってもしぐさや表情などは10歳代と同じなのが、不思議で面白い。