屋嶋城&四国村&しまね丸マスト
★ 一昨日友人を誘い屋嶋城に出かけた。
長期間クレーンが置かれ整備が続いていたが、今春完成し一般公開されている。
城門地区の懸門(けんもん)構造。
懸門構造とは、門の入り口に高い段差を設け、通常は梯子を架け戦時には取り外す仕組みをいう。
★ 次は屋島ドライブウェイ入り口にある四国村へ。
ここは徳島のかずら橋や小豆島の農村歌舞伎舞台、四国各県や兵庫県から移築・復元した古民家などが展示されている屋外博物館だ。
農村歌舞伎舞台で、右手は階段状に造られた桟敷席。
これは1945.2.29川崎重工で竣工した民間商船しまね丸の無線マストの1本。(鴨庄白方地区で警鐘台として利用されていた)
甲板は植木や迷彩などで偽装したが、1945.7.24イギリス海軍艦載機により被弾。1948年解体のため引き揚げられ、地元の警鐘台として活用された。下部は被弾によりめくれたり、えぐられた鋼材が見える。
しまね丸甲板を松の木で偽装した作業は村人総出で行われ、食糧難にもかかわらず参加者には白米が配られたという。(毎日新聞 2016.7.78付)
★ こちらは今も鴨庄新開地区に建つ2本目のマスト(警鐘台)。
新開地区から大串地区に向かう県道135号線沿線に立てられたしまね丸についての説明板。
ガードレールの外側に立っている。
志度湾にしまね丸が疎開した4月初旬から、周辺は機銃攻撃や機雷投下が続き、住民は農作業もままならなかった。7月27日しまね丸は沈没したが、水深が浅いため海中に没しなかった。船体が見えるから終戦までの5か月間近く住民は連合国軍機に怯えた。