「この世界の片隅に」漫画&アニメ映画

★ この漫画は2006~2009年の「漫画アクション」に連載され、2008から2009年にかけて全3巻が双葉社から単行本化された。
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何時だったか記憶にないが次男が購入し持ち帰っていた。
作者はこうの史代、1968年生まれの48歳、広島大学理学部を中退し2001年放送大学教養学部を卒業している。

物語は1943年12月広島に住むおっとりとした18歳の浦野すずが、呉に暮らす4歳上の北條周作に幼い頃に見初められ嫁ぎ、以後それから2年余り1946年1月までの呉での生活を描いている。

印象に残るシーンが2つある。
一つはすずの同級生で幼なじみの水原哲(重巡洋艦青葉乗員となっている)がS19年12月に外泊が許され、すずの嫁ぎ先を訪れる。
死を覚悟している哲(すずとは相愛の中だったことを夫の周作は知っている)を周作は納屋の2階に泊め、すずに行火を持たせゆっくりと話してこいと言う。

二つ目は買い物に出かけたすずは遊廓で迷子になる。
そのとき文盲の遊女白木りんに助けられ、すずはりんの名前を書いてやろうとするが、昔親切なお客さんに書いてもらったという紙片をすずに見せた。
翌月、すずは偶然夫のノートの隅が破られており、それはりんが見せた紙片と一致するのを知る。

この物語に悪人は登場しないが、特に北條周作の人間性は男には珍しく、わたしはまだこういう男性には出会ったことがない。

中巻ですずが行火を持って行った夜、哲はすずに言う。
『ずうっとこの世界で普通で・・・まともで居ってくれ。 わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ。 笑うてわしを思い出してくれ。』

同じく中巻で、S20年6月すずは時限爆弾で右手を無くし、手を引いていた姪の晴美(周作の姉の子)は死んでしまう。
晴美と一緒にいたすずは義姉に恨み言を言われ続けていたが、右手を無くしたすずの髪を梳かしながら義姉はすずに謝る。
そのときこんな言葉を発する。
『わたしゃ好いた人に早う死なれた。 お店も疎開で壊された。 子供とも会えんくなった。 ほいでも不しあわせとは違う。 自分で選んだ道じゃけえね。 そのてん周りの言いなりに知らん家へヨメに来て言いなりに働いて、あんたの人生はさぞやつまらんじゃろ思うわ。』

S21年1月 『すゞめのおしゃべりを聞きそびれ たんぽゝ綿毛を浴びそびれ 雲間のつくる日だまりに入りそびれ 隣に眠る人の夢の中すら知りそびれ 家の前の道すらすべては踏みそびれ乍ら ものすごい速さで 次々に記憶となってゆくきらめく日々を 貴方はどうする事もできないで 少しづゝ 少しづゝ小さくなり だんだんに動かなくなり 歯は欠け 目はうすく 耳は遠く なのに其れをしあはせだと微笑まれ乍ら 』


★ アニメーション映画の方は片渕須直監督(大阪出身 1960年生まれ 56歳)だ。
映画のエンドロールで、クラウドファンディングの協力者氏名が延々と流れた。
なんと3374人、3912万1920円集まったという。
希望を感じた作品だった。
こういう作品を作る人たちがいて、それに協力する人たちがこんなにもたくさんいるということに力づけられる。