姜尚中講演会

⭐ 一昨日の20日、高松•大野で開かれた姜尚中講演会に出かけた。
走り書きしたメモと感想を交えながら書きたい。

姜は中学2年の時家出し、友人ら3人と東京で1ヶ月を過ごした。(新聞配達などで食いつないだという)
出身は熊本県人吉市球磨村で、現在の熊本県の年間個人消費は195万円、対して昼間は夜の4倍の人口になる東京港区は1000万円で、80~90平米の新築マンションは1億円を超える。
今の学生は奨学金の返済で、卒業と同時に200~300万円の借金を抱えている。
ハーバード大でも年間授業料は800万~1000万円で、多くの学生は借金を抱える。
貧しい子供が一番欲しいのは靴で、一番多い病気は虫歯と肥満、自販機の後ろで暖をとる状況がある。

姜は近年長崎の軍艦島をはじめ1年余り全国を見て回った。
三井・三池も囚人労働から始まった。
三池炭鉱は1873年から囚人労働が始まり、三池に払い下げられた1888年当時、全坑夫数の69%を占めた。
炭坑節(月が出た出た~♪)は八重山出身の女性労働者が歌い始めたもの。
廃坑になった後坑夫の一部はドイツまで行った者もいる。
ここですぐに上野英信著「眉屋私記」を思い出した。
眉屋というのは1840頃沖縄に住んでいた山入端(やまのは)家の屋号だ。
その眉屋4代目山入端萬栄(1888生まれ)が1907年キューバに移住する。
その萬栄を中心とした一族の歴史ルポルタージュがこの本の内容だ。
萬栄はカストロの革命政権が樹立した1959年71歳で亡くなるが、彼の妻・娘・孫娘2人は革命の嵐を逃れてベルリンに去り、さらにハノーファーに移る。
とあった。
つまり、沖縄からキューバやメキシコに移住したり、八重山から九州の炭坑夫として移住した人々の末裔がドイツで暮らしているということだ。
明治を調べ始めると、このような移民史に必ずぶつかる。

姜は熊本なので水俣の話も出たが、癩患者の話もあった。
幼い頃、癩患者を見ると逃げていた。母親は自分のように差別しなかった。
なぜ自分と母の反応は異なるのか?
それは自分が学校に行ったからではないか?
学校に行ったがために自分は偏見を持ち、無学な母は偏見を持たなかった。
偏見から派生して、相模原事件にも触れ、普通の生活ができない状態を「心が荒(すさ)ぶ」と表現した。

漱石の話に移り、漱石ほどお金に困った人はいないと言い切る。
東北大に漱石の出納帳があるそうだ。
人が信じられないから最後は金(かね)となる。
漱石の夫婦仲は良くなかったが、7人の子を持ち、現在の金で2千数百万円を残した。

カネをめぐる業のようなものが世界を動かしている。
姜がICU時代の教え子と会った。
ゴールドマン・サックスに勤める45歳の彼に収入はいくらか聞いた。
3本指を立てたので、3千万と思ったら3億だった。
1/1000秒単位で動いている世界で働いている人だ。
姜は「悪」とは絶対的不足と絶対的過剰の状態をいい、そうではないところに心の平安があると締めくくった。

青色の部分は私が付け加えた部分。

私の好きな漱石の句。
・菫ほどな小さき人に生まれたし
・叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉