上野英信著「豚の孤独」

※ 2004年秋に発行された季刊「前夜」創刊号に上野英信の「豚の孤独」が掲載されている。
選んだのは松本昌次で、1927年生まれ、1953年未來社に入試し編集を担当し、1983年退社し影書房を創設した。高齢なので現在の様子はわからない。

内容は、1932年8月14日から9月4日までの3週間にわたった筑豊の麻生炭鉱で起こった朝鮮人争議に参加した朝鮮人からの聞き取りに始まる。

半島各地に潜入した募集係の甘言に騙され、石炭会社専用の石炭船の奥深くに積み込まれ、シートをかぶせられ日本の港へ。
港に着くと、夜陰にまぎれて待機している石炭会社のトラックに積み込まれ、またシートをかぶせられ炭鉱へと運ばれた。
石炭会社の手による集団密航で、日本資本主義版奴隷船の話を、上野は向かいに住む朝鮮人一家のあるじ呉さんから聞いた。

呉さんはある宵上野の家に文句があると言ってきた。
上野が妻にモンペをはかせているのがけしからんというのだ。
呉さんによると、モンペはプータ(豚)に餌をやる時に着る服なので、もっときちんとした服装をしてほしいという。
呉さんは炭鉱を失業して以来、養豚業を営んでいる。
この文句以来上野一家と呉さん一家はどの隣人よりも親密になっていった。

呉さんの妻は「アー、はがいかネー! 上野さんが朝鮮人やったら、もっと好きになれるとばってんネー!」と叫ぶ。
彼女は上野が彼女と同じ朝鮮人でないことを悔やんでいるのではない。
彼女が朝鮮人であり、上野が日本人であるかぎり、うちとければうちとけるほど、ますますくっきりと両者の間に立ちはだかるもの。
彼女にはそれが見えるのに、上野にはそれが見えない。それが彼女をいらだたせてやまないのだ。

ひょっとしたら、私たち日本人は、民族としての孤独を知りもせず、知ることもできない民族なのではあるまいか。そしてそれが、私たち日本民族のもっとも大きな不幸の原因なのではあるまいか、という思いのみ、近来いよいよしきりである。

(「展望」筑摩書房・1971年8月号初出。のち『骨を噛む』大和書房・1973年4月刊及び『上野英信集』全5巻、第5巻『長恨の賦』径書房・1986年5月刊に再録)



※ 松本昌次さんについて調べていたら、
松本昌次の「いま、言わねばならないこと」のサイトを見つけた。
ーー第二回「花は咲く」異論(レイバーネット)よりーー

NHK会長の2013年度の年間報酬が3092万円、副会長が2690万円という。

東京で働く娘は小さな出版関係の会社に勤めているが、NHK関連の仕事が多い。
その仕事の単価が半分に値切られ、報酬は細る一方で食べていけなくなり、とうとう転職を決意した。