楢山節考

深沢七郎の「楢山節考」を読んだのは20歳代後半だったと思う。その後、坂本スミ子版映画を観て、今回田中絹代版を観た。田中版は義太夫が入り、舞台のような不思議で幻想的な作品だった。坂本版を観てからも長い年月が経っているが、今回また心に響くものがあった。それはもちろん私が歳を重ねてきたことによるところが大きいのだろうが・・・。
私は親が子の面倒を見るのは当然すぎる義務だが、子が親の世話をする義務はないと思っている。自分自身子育ての過程で、子供に老後の面倒を見てもらおうと思ったことは一度もない。なぜなら、子供は自分の老後のために育てるのではないから。予測できる終わりに対しては、着実に準備する必要があると考える。予測できない終わりは自立している間に訪れるだろうから。
さて現代に引き寄せて考えると、食糧問題ゆえの覚悟は今のところ不用だが、自らの生の役割への自覚はこの老婆の時代となんら変わるものではないだろう。