ETV特集「神聖喜劇」から

二日前の番組で、大西巨人氏の言葉に「たとえば白のものを黒と言いくるめるような状況を拒否することが、生の肯定につながる。」というのがあった。

わたしが「神聖喜劇」に惹かれるのは、この白を黒と言わせることが生の否定と感じることだろうと思う。

以前にもこの作品についてブログに書いたことがあるが、作品を読んでいると(私が読んだのはマンガ版だが)、過去に自分が出会ったそのような場面を具体的に思い出す。
人は職場や学校や近所付き合いでもしばしばこういう場面を経験する。
そして日常生活では言いくるめられることに何の疑問も感じずすぐさま同調し、また自ら言いくるめる側にいる人が、偽装事件のニュースに激しく怒ったりするおかしさ。

松本サリン事件の河野義行さんに私淑するのも、彼に東堂と同じ姿勢を感じるからだ。
河野さんという個人は、あのような事件に遭遇して、世間の人々がその存在を知った。
自らの生を肯定する生き方をしている市井の類まれな人の存在を。
そして、同時代に生きる私に力を与えてくれる。