The composition of my eldest son

★ 今おもしろい本を読んでいる。 その本のことは後日読み終わってから書くが、とりあえず以下の描写で思い出したことがある。
p.114 に、
「小学校の作文で、『妹が生まれてきたおかげで、お母さんの愛情も十分受けられなくなったし、美味しいものがあっても半分わけしなくてはいけない。ほんとうに妹には困ったもんだ』みたいな作文を書いた小学生がいたら、先生がいちばん最後に『でも、やっぱり大好きな妹』と書き加えてしまった、という話がありました。とにかく体裁よく辻褄合わせをさせるのではなくて、その時その子が感じたこと自体を掘り下げさせてこそ教育と言えると思うのですが、・・・」 という武術研究者甲野善紀氏の発言があった。
 
これを読んで、長男が小学校の時に書いた作文を思い出した。
このブログを書こうとして、その時の文集を探しに行ったが、思っていたところにないので、覚えているままに書く。
初め長男が書いたのはこういうものだ。
・・・掃除の時間に、落ち葉を集めて捨てに行こうとしたら、A先生が落ち葉は肥料になるから大きな木の許に置いておくといいよと言われた。 その通りに処理していたら、今度はB先生が来てそんなことをしたら風で散らばってしまうから捨ててきなさいと言われた。ぼくはどうしたらいいか困ってしまった。・・・ というものだ。
 
最初にこれを読んだときに、子供らしい学校生活の一コマが描かれていて、教育現場ではこのようなことは山ほどあるだろうし、この戸惑いを作文にしたことがいいなあと思った。
 
ところが、完成した文集にはこの部分はすっぽり抜けており、つまらない平板な作文になっていたと記憶する。
教師が何を危惧して削除したのかは想像できる。
しかし、である。 ここで、先の甲野氏の発言に戻る。
 
読み終えたら紹介しよう。