『A3』 森達也著 集英社インターナショナル

★ 500ページを超える大作だった。
 
イメージ 1 『A』 『A2』 が映像作品を伴うのに対し、『A3』は書籍だけだ。 理由は内容を見ればわかる。
 
読後感はとても重いが、ドキュメンタリーだけあって、高村薫の『太陽を曳く馬』を読んだ後よりも、くっきりとしたものがある。
 
気になった個所をいくつか書きたい。
 
1.中坊公平について。
少し前に読んだ宮崎学著『地下経済』にも書かれてあったが、1998.12月麻原彰晃の主任弁護人だった安田好弘が当時住宅金融債権管理機構社長だった中坊公平の告発により、強制執行妨害で逮捕された。
--弁護士は在野にあるべきとして公権力への接近に疑義を示していた安田の存在は、公権力と足並みを揃えつつあった中坊にとって、きわめて目障りであったことは容易に想像がつく。(p88)--
メディアは中坊公平ブームを作り上げていた。
 
2.人権派とは?
--「人権派の人たちも、麻原彰晃の問題については、なぜかなかなか発言してくれないですよね」
人権派って?」
「いろいろ。例えば市民団体とか」
「あの人たちはね、基本的には、良い人とかかわいそうな人の人権じゃないとダメなの」
「・・・悪くて憎らしい人の人権はダメなのかな」
「ダメだねえ」 (p91)--
 
--「拘置所向精神薬を大量に投与されたという可能性は?」
「ありえなくはない。強烈に反抗的な人であることは確かだから。納得しないと絶対に命令に従わない。看守としては扱いづらかっただろうね。だからその可能性もある。でも正確なところは僕にもわからない」 (p100)--
 
4.麻原の現状
--「判決公判での麻原は、同じ動作をずっとくりかえしていました。頭に手をやったり、顔に手を当てたり、膝をかいたり、一見すると笑いに見える発作のような表情をして、また顔に手を当てる。循環しています。しばらく見ているとわかります。同じ動作の反復は、拘禁障害などの場合に共通して現れる症状の一つです。動物園の動物によく現れます。しかもこのときの麻原は、オムツまで当てられていた」 (p230)--
--「不規則言動が始まったのは1997年。それから現在まで9年近く、麻原は放置された。その帰結として病状は進行した。これ以上ないほどに悪化した。(中略) 少なくとも自分は何者で、なぜここにいるのか、くらいの意識を取り戻させてから、裁判を再開すればよいはずだ。」 (p243)--
 
5.精神科医野田正彰のコメント
--2006.1月に麻原裁判弁護団が主催したシンポジュウムで
「わかりやすく言えばですね、訴訟中に胃潰瘍が見つかったと。そうしたときに放っておくかということですね。当然内視鏡を入れて出血を止めないといけないですね。そういうことをするべきであるにもかかわらず、どうも裁判官が意味不明なことを言って頑張っている。そういう状態でないかと思います」 (p245)--
 
6.『獄中で見た麻原彰晃』(インパクト出版会)・・・衛生夫のインタビューを収録
--「彼の布団や服、それから部屋も、とにかく物凄い臭いです。(中略) 何度か、風邪薬のような、白い粉末状のものを、彼のお茶に混ぜるよう、先生(刑務官のこと)に指示されたことがあります。先生は睡眠薬だとか言っていたように思います。何かの注射を打たれているという噂もありました。彼がたまにどこかに連れていかれることがあるので、その時に打たれているのでは、という話です。」 (p261)--
 
7.森のコメント
--「不安や恐怖が発動したその最大の理由は、オウムが事件を起こした動機や背景がわからないからです。(中略) その解明のために最も重要な場は法廷です。でも東京高裁は、結果としてその責務を放棄しました。とても重要な裁判です。手続き不備などの理由と引き換えにできるようなものではないはずなのに・・・」(p346)--
 
8.メディアの市場原理が行きつく先は
--「日本における犯罪は、もう何十年も前から減少し続けている。特に殺人事件の発生件数は、1954年をピークにして、最近は毎年のように戦後最少を更新している。ところが多くの人はこれを知らない。メディアが積極的には報じないからだ。なぜ報じないかといえば、危機を煽ることが視聴率や部数に直結することに、地下鉄サリン事件以降のメディアは気づいたからだ。(中略) 実際に治安は悪化などしていないのに、メディアによって危機意識を煽られながら、多くの人は悪化していると思い込む。」 (p416)--
 
本当のことを知るのは難しい・・・。