『坂本弁護士一家殺害事件』のこと

★ 1992年か93年だったと思う。
坂本弁護士一家救出のために、母さちよさんが高松を訪れ、その会合に出かけたことがある。
当時私は信号無視の車に衝突され、怪我は大したことはなかったものの、車は横転し大破した。
相手はチンピラ風の若者で、任意保険の交渉テーブルにつく事を拒んだので、私は損害賠償の裁判を提訴していた。
そのため裁判が身近にあり、この救出活動にも興味を持った。
 
さちよさんは、この年代の女性にしては長身で、控えめで上品な方だった。
私の裁判は半年ほどで終わったが、河野義行さんをはじめオウム関連の事柄はウォッチし続けている。
さちよさんについては、1995年の一家の遺体発見まで、毎月アパートの掃除の折に、三人の陰膳を据え、孫の竜彦ちゃんの成長に合わせて衣類を準備し、いつ帰ってきてもすぐに生活が再開できるように整えていた。
殺害されてから遺体発見までに六年の時が流れている。
その間その行いを続けることで、自らの気持を支えていたのだろう。
 
先日読んだ『国策調査』青木理著で、第7章に安田好弘氏が取り上げられているが、このなかで著者は述べている。
――神奈川県警がもし坂本弁護士事件の早期解決を成し遂げていれば、後のオウム教団による数々の凶行(注:松本サリン・地下鉄サリン・etc・・・注:ブログ開設者)は起きることがなかったし、それは現実に可能だったのではないか。――
そして坂本弁護士事件について、
1.坂本弁護士オウム真理教被害者弁護団の一員として教団と対立していた。
2.失踪現場に教団バッジが残されていた。
3.1990年に実行犯の一人である幹部信者が教団を脱走し、神奈川県警に遺体埋葬場所などを通報したことが明らかとなっているが、警察捜査は杜撰と怠惰を極め、事件解明はおろか遺体の発見にも至らなかった。
4.これらの背景として、坂本弁護士の所属していた法律事務所が神奈川県警による共産党国際部長宅盗聴事件を追及していたことが影響したのではないか。
以上4点を指摘している。
 
そして安田好弘氏の言葉として
――こうした真相もまるごと明らかにしてこそ、巨大な犠牲と衝撃をもたらした事件の弁護だろうと思ったんです。オウム事件はまず、事件の真相と背後にある真実を一つひとつ、徹底的に解明しなければならない。そうすることで初めて未曾有の事件の教訓を得ることができるのではないでしょうか――
 
坂本さちよさんは今年の秋には81歳になられる。
私の歳にはすでに苦悩が始まっていた。
どのような日々を過ごされているのだろうと時々思う。