スロベニア・クロアチア その2

★ ドゥブロヴニククロアチア飛地になっていることを今回の旅で知った。
ボスニア・ヘルツェゴビナのネウムという町を挟んで、クロアチアは分断している。
なぜか? 
ドゥブロヴニクは元ラグーザ共和国と呼ばれ、7cに誕生するが、海上貿易を独占していたヴェネチアの怒りを買い、13c初めヴェネチアの侵攻により、奉仕活動や貢物を要求されるようになる。
1358年独立を得て、ハンガリー王の統治の下100年間ラグーザ政府の自治が続いた。
1458年ラグーザはオスマンと条約を結び、黒海へのアクセスも得るが、インドや中国など遠方との取引が可能になると、ラグーザの商業的影響力は衰えてくる。
1667年巨大地震で大被害を被る。
1699年オスマントルコが占領していたクロアチア領土をハプスブルグ帝国が奪い返し、ネウムはドゥブロヴニク領になった。 しかし実際にはドゥブロヴニクはトルコからネウムをもらわず、オスマントルコ領のままにし、ネウムを防御壁にした。
なぜなら、当時ネウムから北一帯はヴェネチアの領土で、ヴェネチアとドゥブロヴニクは敵対していたから。
つまり、アドリア海貿易をめぐるドゥブロヴニクヴェネチアの衝突を避けるためのドゥブロヴニクの知恵の結果が、飛地を生んだといえる。
 
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旧市街を囲む城壁の回廊から人びとの暮らしをうかがう。内戦の傷跡を残した区画があった。
 
 
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この日は自由時間があり、旧市街北のスルジ山山頂にある戦争博物館を見学した。
これは要塞跡をそのまま利用している博物館入口。
兵器の展示などと共に、内戦当時のビデオも上映しており、生々しさが伝わる。