旧満州その4

★ 今回は丹東で、訪れた6都市の中でもっとも印象に残った。

参加者の中に丹東で10歳まで暮らしていたというおじいさんがおり、その方は早朝タクシーを利用し、住んでいた家の近くをまわってもらったが、当時の面影は皆無だったと言った。
この町が観光ルートに入っていたのでこのツアーに参加したが、70年の歳月は長すぎてせめてもう30年早く訪れていれば、これほどの変貌はなかっただろうと感慨深そうだった。

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朝鮮戦争の際アメリカが、鴨緑江に架かる鉄道橋の北朝鮮側半分を爆撃破壊した。
鴨緑江断橋」として今は観光名所になっている。 これは断橋から撮ったもので向かって右が中国丹東市、左が北朝鮮新義州で、川は写真奥へ流れている。
この写真を見て何も感じない人は皆無だろう。
川の向こうの世界を想像する以前に、これほどくっきりと見えているのだから。
この断橋を歩く前に、船で鴨緑江の遊覧があったが、王子製紙の煙突があった。
サハリンのホルムスクでも王子の煙突はそびえていた。
王子製紙は1910年代後半、樺太や朝鮮に相次いで進出した。


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第二橋梁を中国から北朝鮮に向かう列車。
どんな人が乗っているのだろう。 50歳くらいの現地ガイドはまだ訪れたことがないと言った。


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これから少し歩いて行こうとする虎山。 虎山というのは地名でもある。
何しろツアーメンバーは高齢者が多いので、歩く距離はなんでも控えめになっている。

説明によれば虎山長城は明(1368~1644)代の長城東端ということだが、虎山の東に平壌に伸びる燕(BC1100~BC222)の時代の長城遺構があり、虎山長城も燕時代の長城との説もある。


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「一歩跨ぎ」と言われる川幅がもっとも狭くなっている国境観光地。
左手は鴨緑江の中州だが北朝鮮の領土なので、本流は中州の向こうを流れているが、ここが国境となる。
立て看板には
 ・国境の生活環境を守りましょう
 ・北朝鮮にものを投げるな
 ・非法密売・密輸、アヘン売る等禁止
 ・軍人の写真は撮るな
 ・柵を壊すな
 ・越境禁止
などと、書かれているそうだ。

前日丹東に到着した日の夕食は「丹東高麗飯店」という北朝鮮政府直営店で、食後若い女性たちによる歌・踊り・楽器演奏があった。 彼女たちは北の高級官僚の娘だという。
あまりに北朝鮮的で、一歩も二歩も引いて観賞した。
中国で営業する税金関係など、わかりもしないがどうなのだろうと思った。


★ 体調が回復してきたので、とても久しぶりに歩きに行った。