旧満州その5

★ 今回は主に旅順。 旅順・大連は二つの町だったが、現在旅順は大連市に編入されており、大連から45km離れている。


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旅順口区の北東側にとさかに似た119mの山がある。 ロシアは1898年に旅順・大連を強引に清から租借し、旅順を長期占領する目的で、中国人労働者を使い、山の北側に堡塁を建設した。(1900年) 堡塁とは強固な陣地のことだ。
これは東鶏冠山北堡塁の台所・治療部屋などに使われた部分。


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壕に進入してきた敵を掃射する防御施設の側防こう室。


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旅順の旧ヤマトホテル。
ガイドの解説では、現在は軍のホテルとなっているとのことだったが、どうみても今は使われていない空き家だ。
開業間もなく漱石が泊まっているが、なぜ漱石が旅順にと調べてみると、彼の親友中村是公が満鉄総裁をしていた折誘われたそうだ。
漱石後も川島芳子の結婚式、与謝野鉄幹・晶子夫妻、溥儀の滞在、板垣征四郎などが利用している。


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玄関のガラス越しにエントランスを撮った。


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ヤマトホテルのすぐ近くの路上で、古着を売るおばあさん。
こういう路上販売はたくさん見かけた。 結構売れるようだ。


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旧市街から北西に2km地点の203高地。
激戦で、日本側17000人、ロシア側5000人が死亡した。


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乃木希典ステッセルが停戦条約を締結した水師営会見所。
1996年に復元された。
入り口を入って右の二部屋は当時の写真が展示され、左の二部屋は乃木の書や記念品の販売などをしている。


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大連の労働公園で書を披露するおじさん。


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大連港。終戦後ここから佐世保舞鶴に多くの人が引き揚げ船に乗った。


最終日の午前中、大連の旧ヤマトホテル・中山広場・ロシア人街・旧満鉄本社などの見学があったが、わたしはのどの痛みと発熱でバスで寝ていた。
旅行社に連れて行かれた土産物店で買ったクッキーの写真を最後に一枚。
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これはなんと日本円で700円(35元)もした。日本でなら100円か200円だろう。
外箱にはブルーベリーが描かれ、クッキーの真ん中にくっついているが、中身はブルーベリーの影も形もない。 誰かに渡す土産でなくてよかったが、日本ではまずありえない。
今回の為替は1万円で480元だったから1元=21円ほどだった。

初日から喉を傷めたことが残念だったが、いたるところたばこの煙で、歩きたばこのおおさにも閉口した。
中国の道路もわたしには横断できそうにない。