宇和島へ

★ 先月末南予を訪れた。
まずは宇和島市遊子の段畑から。
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こういう光景をみると人間に対する信頼を取り戻すことができる。
どんな高層建築や巨大橋梁を見るよりもヒトの力の偉大さを感じる。
草も生えておらず、もみ殻を撒いて耕され、管理が行き届いていた。

天赦園
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宇和島藩七代藩主伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として大改修し、天赦園と命名した。伊達政宗漢詩「残軀は天の赦す所 楽しまずんば是を如何せん」(天に与えられた余生を楽しまずしてどうしようか)から採った名だという。宗紀は百歳近くまで生きた人なので、まさに天寿を楽しみ全うしたといえる。
ちょうど祭りの奉納儀式のようなものが行われており、8人の子どもたちが鹿の面を被っていた。

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南の上り立ち門から入り天守へ。
藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形であったという。


穂積橋
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国文学者で鶴見大学名誉教授の岩佐美代子さんの祖父は、民法などを起草した法学者穂積陳重(のぶしげ)だ。
日本初の法学博士の一人である陳重氏を讃え、銅像を作る話が持ち上がったが『老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし』との本人の希望を尊重し、橋が架かっている。
岩佐美代子さんは京極派の歌の研究などで著名な学者だ。