Eテレ 心の時代「辺見庸」
★ 今日は定例登山の日だったが、天候が悪いので延期した。
昨日早朝放送され、録画しておいた辺見庸の番組を見た。
「父を問う」というテーマで、彼の最新作『1937(征くみな)』について述べる内容でもあった。
いくつか、そうか!と思う点があった。
まず、大災害は政治的には世の中を締め上げる契機となるということ。
世の中に不穏で剣呑な感じが満ちてくる。
『1937』角川文庫完全版では、山下清の観兵式という作品が表紙に使われている。
何の意図も作為もない、山下清という無垢な魂が描いた「一つの例外もない風景」…すべての人が日の丸を持ち、万歳している風景が辺見を捉えた。
堀田善衛が1955年に発表した「時間」という作品。
1937~38年にかけて南京での日本軍の振る舞いが、主人公の中国人の目を通して描かれている。
これは「脱真実」とも訳され、客観的な事実より虚偽であっても個人の感情に訴えるもののほうが強い影響力を持つ状況を意味する。事実を軽視する社会。
南京虐殺がなかったという主張が、マジョリティになりつつある危機感から、辺見は「1937」を書き、初めて父のことを書いた。
父は中国でどうしたか?
農民の母と息子にセックスをさせ、最後はガソリンをかけて焼き殺す。武田泰淳が1956年に発表した「汝の母を!」に描かれた光景。
辺見は自分も物書きの端くれとして、頭の中だけで想像して書いたものと実際に見たものとの区別はつくと述べる。
父よ!あなたは見たことがありますか?関わったことはありますか?
父が復員後、幼い辺見(1944年生まれ)少年を連れ、小津の映画を一緒に見に行った。
小津も1937年応召し、中国で2年の軍隊生活を送っている。
辺見少年にとって小津映画は退屈でしかなかった。
――以前、辺見の小津安二郎批判を読んで、「辺見庸の小津観」(2015.3.30付)としてブログに書いたことがある。その時辺見は小津の作品と1937年の出来事がどう結びつくのか?記憶の底を暴け!と書いていた。――
性交を強いられる母子の立場から思考せよ!ということだろう。
しかし、辺見は76歳で逝った父の病床で、今までで一番楽しかったことは何かと聞いた。
父は学生時代ボートを漕いでいた時が一番楽しかったと答えた。
そのとき、アンタ!中国で人を殺しただろうとは聞けなかったと。
辺見は小津作品を蜃気楼みたいだというが、この言葉を聞いて小津を理解していることがわかった。