ー讃岐国府の実像に迫るー

⭐ 昨日、タイトルのテーマで、香川県埋蔵文化センターの松本和彦氏による講座があり、県立ミュージアムへ出かけた。

ごく一部分だけ感想を交え紹介したい。
※ 国府とは、中央による地方統治システムを意味するが、大化の改新後指向され、大宝律令後設置された。
大化の改新では、国内に評(ひょう、こおり)という行政単位を設定し、中央から派遣された国宰(くにのみこともち)が国内を総括し、国府は未設置だった。

大宝律令後中央から国司が派遣され、それまでの評に変わり郡が、またそれまでの里に変わり郷が設置された。
国ー郡ー里(郷) /  国府郡衙ー里家(郷家) /  国司ー郡司ー里長(郷長)
県ー市町村ー自治会 / 県庁ー市役所等ー自治会館 /  県知事ー市町村長ー自治会長

このように統治システムが完成した。
ーー郷に入りては郷に従えーーというようなことわざが、奈良時代の統治システムから言葉として残っていることに驚く。
また自治という言葉についても感慨深い思い出がある。

子供が小学校の時のPTA組織に、自治委員会というのがあった。
その委員会は何をしていたかというと、地域の廃品回収やバザーを行い、学校が自由裁量で使えるお金を集める組織だったのだ。自治委員会なのだから、学校をよくするために独自の取り組みができるはずだと、制服問題に取り組み始めると、あちらこちらから賛同が得られない困難があった。
アンケートを実施し、結局できたのは夏場の上着を白のTシャツあるいはポロシャツでも可としたこと。
それまでは汗取りの肌着の上に、合成繊維のシャツやブラウスを重ねていたので、木綿一枚でもよくなったことは実にささやかな改善だった。

しかし、この今に続く大宝律令後の統治組織からいうと、自治会というのは上意下達の末端なのだから本来の自治をやろうとするものでないことがわかる。
この末端組織に自治という言葉を当てたのは、「国連平和協力法」と同様に言葉と中身がまるでチグハグなので、私のような世間知らずの単細胞人間には理解不能だ。

※ 国府内に所在する施設の一つに「健児・労働者などの宿舎」がある。
この場合「健児」は「こんでい」と読み、戦死した若者を慰霊する「健児の塔」とは読み方が違う。
健児(こんでい)とは、奈良・平安時代の地方軍事力として整備された軍団で、富裕者・有位者の志願兵で構成されていた。

※ 讃岐国府の地理的環境は、高松平野や丸亀平野のような広大な平野でなく、綾川が平野に注ぎ出る綾北平野の再奥の閉塞的な空間に展開し、南海道という陸路と綾川水運という海路の結節点に造営された。
国府府中町本町周辺に南北600m、東西450~500mのエリアにあり、周辺9km四方に重要遺跡が集中している。


⭐ 夫が裏庭に水やりをしている時、ホースから水が漏れているのに気づいた。
見るとホースが2cmほど裂けている。それを夫に言うと知っているという。
一体いつからそういう状況なのか知らないが、なぜすぐに対処しないのだろう。
裂けている箇所は一ヶ所だけで、蛇口から2mほどのところだったので、切って短くすることにした。さほど時間のかかる作業でないが、私の仕事は毎日このように増えていく。