憲法は押しつけられたか

※ 改憲したい勢力から「憲法は押しつけられた」との発言がある。

そうではないことがわかるのが、加藤周一著「憲法は押しつけられたか」(かもがわブックレット20)だ。以下この点に関する部分を紹介したい。
   

"押しつけ"というなら、誰が誰に押しつけられたかをはっきりさせねばならない。
"押しつける"という日本語の動詞は、押しつけられる本人がそのことを望んでいる場合には使わない。
つまり、押しつけられたという動詞の中には、本人が望んでいないという意味が含まれている。
1946年5月16日の帝国議会に提出された「帝国憲法改正案」について、毎日新聞は5月27日に世論調査を実施した。その結果「象徴天皇制」の賛成が85%、戦争放棄に賛成が70%で、国民の大部分が賛成している。
確かにマッカーサー草案を基に、憲法を改正せよという占領軍総司令部の圧力に屈したわけで、その意味では押しつけられた。
しかし誰が誰に押しつけられたかというと、日本政府が司令部に押しつけられたのであり、日本国民は司令部に押しつけられたのではなく歓迎したのだ。

1945年から46年にかけての今の憲法の制定過程において、日本政府は憲法を変えることをいやがり、抵抗もした。なんとかごまかそうともしたが、結局、占領軍から押しつけられることになった。
明治憲法と今の憲法を比べて、最も大きな転換は、国家のための国民から、国民のための国家になったということで、この原理を日本政府は押しつけられた。
アメリカで南北戦争の結果、奴隷解放があった。それまで奴隷として扱われてきた黒人は、解放された。黒人側からは、奴隷解放を押しつけられたとはいわない。
日本国民も、押しつけられたのではなくて、解放されたのであり、日本人民を主体として考える限り、押しつけられたということは、完全な間違いである。



加藤周一は日本人のアイデンティティ憲法9条だという。
 明日の世界が、もしあるとするならば、日本国憲法の前文や第9条の方向しかない。これは世界が動いて行くべき方向、出口へ向かう方向を示している。
国民主権、国民の意志以上の存在を許さない、いまの憲法の擁護者でありたい。

と、締めくくっている。このブックレットは加藤が70歳を迎える1989年、鎌倉で行われた講演の内容を元に作られたものだ。


※ 沖縄東村高江で米軍ヘリが炎上した。
昨年2月歩き旅で、東村平良の民宿に泊まった。平良と高江は10km余の距離だろうか。
独立した何棟かのコテッジがあり、ゆっくり休めた。
夕飯時にご主人が三線を聞かせてくれた。一旦県外で就職していた一人息子さんが戻ってきて、再就職口を探していた。翌日早朝の出発を見送ってくれ(神奈川からの長期滞在のご夫婦も)、出発後1時間ほど経った頃だろうか、後ろから車で、民宿の奥さん(克江さん)ができたてのムーチーを持ってきてくれた。名護市瀬嵩へ向かうと聞いていたのでこの道しかないと思ってとのこと。
月桃の葉で巻いた餅を「カーサームーチー」というそうで、沖縄ではよく作られる料理とのこと。
お昼ご飯に美味しくいただいた。

その地を訪れたことがあり、また記憶に残る人がいると、今回のような出来事は深い関心事になる。