篠崎勝先生追悼文集(近代史文庫)

※ ネット古書店で偶然この本を見つけた。

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先生が亡くなったのは1999年3月14日だったという。享年81歳。
1990年11月12日、西讃で開かれた「今、なぜ大嘗祭か」をテーマに講演されたのが、お会いした最後だった。
私は1973年からしばらく、松山市護国神社前にあった近代史文庫で、毎週火曜日夜「若手学習会」が開かれ、家永三郎著「高校日本史」を明治維新から学習して行くサークルに参加していた。この文庫を主催していたのが篠崎勝先生だった。
ここで篠崎先生や専従事務をされていたNさんに出会った。
Nさんはいつも黙々と作業に取り組んでいたが、数年前に母と同年の生まれ(1926年)であることを知った。兄弟の面倒を見るために独身で働き続け、50歳を過ぎて結婚されたという。

1999年春は長女が進学した年で、一人暮らしだった母も引き取って数年後だから、慌ただしい日々を過ごしていた。
先生の死は風の便りに聞いたが、この追悼文集を読んで改めて、文庫との関わりが充実していたものであったことを思い出す。
先生自身が書いた地域社会史論の考え方をわかりやすく表現した詩を紹介したい。

   わたしたちのしていること
 
 子どももおとなも 若ものも年よりも 住んで働いて 学んでたたかうなかで ひとりひとりの自分が ひとつひとつの家族が ひとくみずつの集団が 自立し自活し 自律自動し 自治をして むすびつき つながりあい 対抗しつかみあいながら 住んで働いているものの かたまりを 住んで働いているところの 世の中を いとなみうごかしかえていく 主体としての人民に ながい世代をかけて 成長する いのちとくらし 権利と道理を まもり 差別を許さない 他からの不当な 支配を ゆるさない 地域住民の大集団 地域住民の自治体 それをつくりだす その力をやしなう それが わたしたちの していることだ。
              1972. 9 (しのざき まさる)

また行われるであろう大嘗祭、雅子さんは適応障害が悪化することだろう。