上野英信展その1

※ 2017.11.10~12.17、博多で上野英信展が開かれている。
11.23に、移民史に詳しい三木健氏(ジャーナリスト、元琉球新報社編集局長)の講演があるとパンフレットにあったので、これに合わせて愛媛の友人と岡山で合流し、福岡へ向かった。

まずは「英信展」のチラシにあった素晴らしい展示概要の文章を転載したい。
ーー記録文学者、上野英信大日本帝国陸軍兵士であったひとりの男が原爆にあい、地獄と化した心身を抱えてたどり着いたのは筑豊の炭鉱だった。一筋の光もささない坑内に、男は赤い旗を立てる。闇を拠点として男は、鉱夫となり、作家となった。
 近代以来炭鉱は、日本資本主義の現在を一身に引き受けた場所であった。どこまでも奪いつくされて坑夫は、しかし英信に人間とは何か、労働とは何か、人が人を信じるとは、愛するとは、連帯するとはどういうことなのかを教えた。言葉を奪われ続けた彼らは、誰より豊かな言葉の持ち主だった。闇に沈む言葉を我が手にたぐりよせようとして英信は、一歩また一歩と、闇深く、魂深くへと、ペンの力で掘り進もうとする。
 日本資本主義の「下罪人」として生きて消されてゆく坑夫の言葉を、帝国主義の「業」を担ぎ続ける者として生涯、一心に記し続けた。そこに火床があるのだと信じ、闇を砦に「日本を根底から変革する」のだと願いきざまれた闇の声を、「地獄そのものとしての人間」の言葉をいま、私たちの場所に聞きたいと思う。ーー

註…鉱山に働く人夫を下財人(財がない貧乏な人)と言ったが、三井が囚人を炭鉱労働に使い始めたM16年頃から下罪人に変化した。

上野英信は1923年生まれで没後30年(享年64歳)になる。三木氏は1940生まれなので現在77歳で、17年の年齢差だが、両者は深い交流があった。
1978年春、取材のため英信のメキシコ行きに際し、三木氏はもらったばかりの給料袋を餞別に差し出した。このような熱い想いに支えられて、英信の「眉屋私記」は1984年春、世に出た。

今回の回顧展に参加するまで三木健氏のことは全く知らなかったが、興味深い本をたくさん書いておられる。
特に、「空白の移民史ーニューカレドニアと沖縄ー」(出版シネマ沖縄)など。

九州の小さな出版社海鳥社も知った。地域に根ざした良い本を出しているようだ。

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会場になった福岡市総合図書館。


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三木氏の著書が置かれた講演会場。

この日の夕食は宿の近くで、博多名物もつ鍋を芋焼酎でいただいた。
ニンニクがよく効いてとても美味しかった。