上野英信展その2
※ その1で紹介した博多の出版社「海鳥社」は1985年12月創業だが、上野英信はその会社案内に、ーー不毛な東京文化の支店になり下がった福岡に活を入れるような出版活動をしてほしい。朝鮮半島から九州・沖縄を結ぶ巨大な文化弧のカナメの役を果たすことができてこそ、海鳥社の名に相応しいーーとの激励を寄せている。
さて、2日目は第2会場の福岡市文学館(赤煉瓦文化館)へ。
19c末の英国様式で、2002年5月からは福岡市総合図書館(その1で紹介)を母体とする「福岡市文学館」として開設された。
1階展示室は写真撮影ができなかったが、入場無料で、木の椅子とテーブルが置かれ、ゆっくり閲覧できる。
これは1階から地下に降りる階段から写したものだが、1階の床梁が鉄骨でできている。
前日の総合図書館といい、この文学館といい、博多は文化の層が厚いとみた。
特に記録文学の深さと広さを感じた。
これは愛媛の近代史文庫の活動と同じ視点だ。
三木健氏の講演資料の中に、眉屋私記の主人公山入端萬英(やまのはまんえい)の娘マリアと妹ツルの写真があった。
その写真のキャプションに、「1984年マイアミから里帰りしたマリア」とあったので、晩年はアメリカにいたことがわかった。眉屋私記にはマリアはキューバ革命の嵐を逃れ、ベルリンに渡り、さらにはハノーバーに移った、とあった。
ツルはマリアと沖縄で対面を果たし、2006年100歳で亡くなっている。
萬英は1907年20歳でメキシコへ渡り、その後キューバへ、日本の土を踏むことなく1959年71歳で亡くなっている。
マリアは現在存命かどうか。
上野英信の「眉屋私記」は山入端萬英の「わが移民史」、山入端ツルの「三味線放浪記」…これは東恩納寛惇という学者でありツルの恋人の校閲がなければ存在し得ない、そして何よりも三木健氏がいなければ生まれ得なかった記録文学だった。