「万引き家族」詳細

※ 映画「万引き家族」を観たのは6月半ばだった。
映画だけではわからない詳細を知ろうと、是枝裕和著「万引き家族」(宝島社)を読んだ。
以下はこの本に書かれてある内容を中心に紹介していきたい。

リリー・フランキー演じる治の本名は榎勝太(えのきしょうた)、前科持ちの小悪党で日雇い労働者だが、元々働くのが嫌いな怠け者。
「治」という偽名は樹木希林演じる柴田初枝の息子の名で、初枝の夫が外の女性と一緒になって家を出て以来息子を女手一人で育てた。息子が結婚するとその奥さんと3人で暮らすようになるが、すぐに折り合いが悪くなり、息子の転勤を境に関係が断絶した。

治の連れ合い安藤サクラ演じる信代は本名田辺由布子、信代は初枝の息子の奥さんの名だった。
8年前信代は日暮里のスナックでホステスをしていた。治は最初その店の常連客だった。
夫の暴力から逃げて、一人暮らしをしていた信代のアパートで同居を始め、その治がパチンコで出会ったのが初枝だった。一人暮らしの初枝宅に転がり込み、息子の名と嫁の名を名乗った。

治が信代と初めて会ったのは治が40歳手前、信代は24歳だった。
二人は初枝の荒川の家に来て10年経つ。
治は元々女が苦手、高校時代盗みをして停学になっていた時、年齢を偽って風俗へ行ったことがある。
17歳だった。気持ちがいいとは全く思わなかった。
信代と一応夫婦として一緒に暮らすようになっても、肉体関係は持たなかった。
信代が時折求めているようなそぶりを見せたが、治は気づかないふりをした。

信代の最初の男は美容院で出会った美容師で、信代は16歳だった。
信代の母は酒を飲むたびに幼い信代に当たり散らし、「産みたくて産んだんじゃない! 産まなきゃよかった!」と言われながら信代は育った。
今は時給800円のクリーニング店で働き始めて5年になる。

治の前科は信代のDV夫を包丁で刺し殺し(意図的にか事故かは曖昧になっている)死体を埋めたことがある。

初枝は2ヶ月に1度亡くなった夫の遺族年金11万6000円を受け取っている。
(ということは初枝は出て行った夫と離婚したわけでなく、法律的には夫婦であり、外の女は年金をもらってなかったということになる)
この外に作った女との間にできた息子を緒形直人が演じている。
この息子一家は横浜に住んでおり、ときおり初枝はここに来て3万円の小遣いをもらう。
この息子は母が初枝の夫を奪ったことを申し訳なく思う生真面目な性格の持ち主で、小遣いを渡さないではいられないのだ。息子の妻はそのことにうんざりしている。

この夫婦には二人の娘がおり、上の娘の名は亜紀(23歳)という。
初枝の前夫の葬式で出会った初枝と亜紀はたまたまバス停で一緒になり、不満を抱えていた亜紀は一緒に暮らそうという初枝の提案を受け入れ、翌月にはもう荒川の住人になっていた。
亜紀の不満とは妹さやかが生まれてから、両親の愛を妹に奪われた(と思っている)ということだ。

錦糸町のJK見学店風俗で働く亜紀は店での源氏名を「さやか」という。
妹が生まれてから自分を省みなくなった両親や妹への復讐の意味を込めてその名を名乗っている。
亜紀の歪んだ愛(両親の愛を奪った妹に対する仕返し)は初枝が横浜の家に何度もやってくる感情と通じるところがあった。

治と信代は夫婦、亜紀は信代の腹違いの妹ということにしているが、夫婦の子供としている祥太と凛がいる。
祥太は幼い頃松戸のパチンコ屋の駐車場で、習志野ナンバーの赤のヴィッツの中に一人いたのを治と信代が拾ってきた。車の中で放って置かれた幼子をガラスを割って連れ帰った。
これは捜索願いなども出てなかった様子。
祥太は治の本名勝太と音が同じところから名付けた。
9歳か10歳になるが、もちろん学校には行かせていない。勉強ができない子が行くのが学校だと治は祥太に教えている。
押入れの自分の空間で、初枝の実子治の低学年の頃の教科書で勉強している利発な子だ。

一番新しい家族が凛。
本名は「北条じゅり」だが、祥太が間違って聞き取り「ゆり」とした。
その後TVで捜索の報道が出て、髪を短く切り、名前も「凛」と変えた。
これは信代が名付けた名で、親に構ってもらえず、友人もいなかった幼い信代に、分け隔てなく接してくれた唯一の友人の名が「凛」だった。

信代は思う。
もし、ゆりがものすごく性格の歪んだ子でいてくれたら、自分の性格や意地の悪さをあきらめられたのに。ゆりみたいな子がいたら、自分の欠点は自分の責任だと認めざるを得なくなる。私の不幸は母のせいだと思いたい。…ゆりを前にして、自分はもっと不幸な存在に思えてならない。

また、罪を全て自分で背負い、取調室で信代は思う。
私たちがいったい誰を捨てたというのだ。息子夫婦に捨てられた初枝と同居し、居場所を失った亜紀を居候させ、放っておいたら死んでいたかもしれない祥太と凛を保護した。
それがもし罪に問われるのだとしたら、彼らを捨てた人々はもっと重い罪に問われるべきじゃないか。


是枝監督の作品はいつも哀しい。
しかし嘘でなく、これが監督の目に見えている現代社会だ。
「しかし…ある福祉高級官僚死への軌跡」は1992年12月に監督によって書かれた本だが、私は2014年1月に読んだ。
水俣病裁判の国側の責任者として、和解拒否の立場をとっていた環境庁企画調整局局長山内豊徳氏は1990年12月5日53歳で自殺した。その死をルポしたものだが、夫人へのインタビューが丁寧に書かれてあったと記憶する。