菫程な小さき人に生れたし

タイトルにあげたのは漱石の句だが、彼のような著名人でなくとも、精神が疲れたときはこのような心境になることがある。

全体の意味は理解できるが、「な」の品詞をはじめ役割はわからない。
「菫程の」「菫程に」と同じような意味だと思うが、句のこういった部分はさっぱりだめだ。

特養の母が、大たい骨頸部骨折で、病院へ医師の説明を聞きに行った。
その途中、交差点を右折してまもなく、左側の歩行者・自転車道を自転車に乗った男性がよろけながら右側に転んだ。上半身を少し車道側にはみ出すかたちで倒れた。
私の前を走っていた車の男性が、左に寄って停車し降りてようすを見に行ってあげていた。
交差点の近くでもあるし、急いでいたのもあり、わたしはそのまま徐行しながら進んだ。
30~40分後、同じところを通って帰路についたが、痕跡はなにもなかった。

母は徘徊があるので、夜中とかに廊下を歩いていて転んだのかもしれない。
痛みを訴えてないこともあり、手術をしないことにする。