『静かなノモンハン』 伊藤桂一著 講談社文芸文庫

 
イメージ 1 ★ なぜノモンハン事件に興味を持つかというと、この戦いの真相が史実から隠され葬られようと、意図され続けているからだ。
 
ミッドウェイ海戦の死者数は、澤地久枝さんによって初めて明らかにされたが、ノモンハン事件は死者数さえ明らかになっていない。(日本側の死者数は八千余とされている)
そもそもこの4カ月余りに渡る戦いが、公的には『戦争』とも『事変』とも呼ばれない。
 
著者の伊藤桂一氏は、この戦いから生還し、北海道在住だった鈴木輝男氏・小野寺哲也氏・鳥居虎次氏の3名に取材し、戦場の真実を描いている。
 
小野寺衛生伍長の「憤りの叫び」を抜粋する。
――われわれは、チチハルからここへ、何のために来たのだ? このモグラしか住んでいない土地を、何のために、こんなにも苦しんで守らなければならないのだ?
しかも軍からは放り出されて、たった1個大隊850名の兵力で、いったい何百台の戦車を屠ればこの戦いが終わるのだ?
いまは850名の兵力が、たった120名になってしまっている。そうして一日ずつ、一刻ずつ、さらに消耗しつつある。
しかも、だれも助けに来てはくれない。
われわれはモグラになって地にもぐることもできない。 鳥になって空を飛ぶこともできない。 そうして、こんな思いでいることを、だれも知ってはくれない。
こんな思いを抱いて死んでしまっても、それをみまもってくれるのは、ただこの草原ばかりだ。 なんという、やりきれなさだろう。 それでも、なお戦いつづけなければならないのか。――
 
小野寺氏が属していた大隊は850名が最終的に36名になっている。
 
伊藤氏は書いている。――軍はノモンハンから還った下士官は、内地へ帰すな、という暗黙の指示を隷下部隊に与えていた。 それで、第七師団のノモンハン帰りの下士官たちは、みな関東軍のさまざまな部署に転属になった。
ノモンハンの実情を知る下級幹部に対しては、軍はどこまでも監視の目をゆるめず、事あるごとにその者を遠方の危地に追いやろうと意図している。――
 
ノモンハンにおける最初の砲声は1939.5.4で、停戦は9.16。
停戦の2週間前に第二次大戦は始まっている。