節分の思い出

※ ・50年前、私は松山で大学のすぐ北側にあった「奥田荘」に住んでいた。

南北に2棟、1フロアは通路を挟んで南北に3部屋ずつつまり6部屋あり、2階建だったので全部で24個の部屋があった。

大家さんは老夫婦で、節分になると各部屋のドアにイワシ(イリコ)と柊を取り付けてくれた。住人のほとんどは学生なので、親元を離れた生活を思い魔除けを祈願してくれていたのだろう。このお婆さんの話し方で私は初めて伊予弁の柔らかな響きを聴いた。お爺さんは冬になるといつも毛糸で編んだ帽子をかぶっていた。夏に虫が入るので網戸が欲しいと言ったらお爺さんが作ってくれた。他の部屋はどうだったのだか知らないのだが・・・。お爺さんは私が3回生のとき亡くなった。後日同じ住人の友人Jさんと墓参りに行ったが、今はその墓地がどこだったか全く思い出せない。本当に良い大家さんだった。

 

私も体調が悪くなる前は節分やひな祭りなどの際には簡単な室礼をしたものだが、もう随分とやってない。心のゆとりを失っているのかもしれない。

 

・指の腫れで手が不自由になってからは外食が多い。

うどん屋台湾料理、レストランなど・・・、うどん屋も数軒変化をつけて飽きないようにしている。