大島へ

☆ 昨日初めて大島を訪れた。
目的は「沢知恵コンサート」に参加するため。
 
1909に大島療養所として発足したとあるが、隔離政策がとられていたので、それ以前に暮らしていた島民は恐らく島外に強制移住させられたのだろう。
この隔離政策は1996のらい予防法廃止まで続いた。
全国に13あるハンセン病施設のうち、この大島では延べ4千人近い入所者を数え、現在は100名余りに減少し、平均年齢も80歳になるという。
わたしが訪れた日も火葬場に火が入り、入所者の一人が亡くなっていた。
 
沢知恵はここで無料コンサートを開き、10年目を迎えたという。
彼女のルーツは、先日8/18~20朝日新聞「百年の明日ーニッポンとコリアー」に掲載されていた。
 
イメージ 1
 
すでに2千名を超える人々が葬られている納骨堂。
 
 
イメージ 2
 
コンサートの始まる前、島内を案内してくれる中・高生たち。 石積みのモニュメントには、納骨した後の残りの遺骨が納められているという。 この生徒たちは島の南部にある庵治第二小学校の卒業生たちで、施設職員の子供たちだ。 この小学校は数年前に休校になっていたが、一人の小学生ができて再び開校されたそうだ。