Spain 3

★ 前回はマリア・ルイサについて書いただけで眠くなり終わった。
 
そもそもここを訪れた日は、朝グラナダを出発しロンダへ移動し観光した後、セビリアまでやってきた。
マリア・ルイサ公園入り口辺りで現地ガイドと待ち合わせの予定だったが、ガイドが来る途中交通事故で鞭打ち状態だと、1時間ばかり遅れて到着しロスが生じた。
スペイン広場へ入ったのは4時を回っていただろう。
 
イメージ 1  1929年の博覧会のために造られたこの建物は、1963年に日本公開された映画『アラビアのロレンス』で、イギリスのカイロ領事館として使われていたそうだ。改めて映画でも確認したい。
 
広大なマリア・ルイサ公園の中にあるスペイン広場だが、公園はかつてのサンテルモ宮殿の庭園の半分で、サンテルモ宮殿は1682年には航海手と舵手を教育する大学だったそうで、1901年には司教区神学校になったとある。
 
 
 
 
 
イメージ 2  ヒラルダの塔(98m)を息切れしながら上り、その後カテドラルの中へ。
 
中にあった時計は午後5時15分を指し、正確だった。 
このカテドラルはモスク跡に1402年から約100年かけて建てられたという。 イスラムを駆逐しようとするカトリック勢力が威信をかけて、グラナダ陥落と同時期に完成させたのだろう。
中には宗教画も多くあったが、ムリーリョの『サン・アントニオ・デ・パドヴァの幻想』という作品が、一時期部分的に切り取られる盗難にあったという説明があり、記憶に残った。
 
カテドラルにコロンブスの墓もあった。
彼は1506年スペインで亡くなったが、遺体はセビリア修道院ドミニカ共和国キューバとそれらの地がスペイン領でなくなると次々に移動していき、最後にセビリアに戻った。
コロンブスは偉大な仕事をしたことは間違いないが、人格的にはかなり問題があったようだ。
これだけの著名人となると、死後も安住の地がなかなか得られなかったわけだ。