「カムイ伝講義」 田中優子著
☆ 2008年に出版されたこの本
いつか必ず読もうと思っていた一冊を、先日ネット古書店で見つけて買った。
明日帰省する次男に持ち帰らせようと、急いで読んだ。
カムイ伝を読んだのはいつだったか忘れたが、私が読んだのは第一部15巻で、第二部と外伝は次男が買ったもので、私は未読だ。
「カムイ伝」の時代背景は1650年前後(江戸時代が本格的にスタート)~1680年ごろという。
江戸体制は整っているが、江戸文化はもちろん上方文化さえも発火していない。
著者は言う。
格差社会とは、自分の生まれ育った環境に拘束され、他の暮らしを想像できないようになる社会のことだ。
「カムイ伝」はそういう社会を描いている。
これは江戸時代だから、ということではなく、現代の日本でもあり世界でもある。
武士は穢多たちが何を食べているのか、それをどう入手するのかも、知らなかった。
まるで、世界の貧しさを知らない現代日本人のようなのである。
穢多と非人の違いについて、着るものや仕事内容の違いがあり、支配関係では穢多は非人の上に立っていた。
養蚕は大陸からの渡来人が持ってきた技術だが、弥生時代の始まりから五世紀くらいまで、日本列島は原住日本人より大陸の人々のほうが多かったと思われる。
養蚕と絹の拡大は、原住日本人と大陸人の混血の拡大でもあった。
穢多の仕事についてもそうだが、江戸時代の人々の生き方と仕組みを見ていると、互いに必要不可欠な仕事をすることで社会が成り立っている。 いなくてもいいのはむしろ武士だったかも知れない。 一揆について考えるにはその視点が欠かせない。
一揆は、搾取されているかわいそうな人々が貧しさにおしつぶされて仕方なく起こしたのではなく、必要不可欠である自分たちの存在をもって、生活の有利を獲得するための方法であった。 しかもその場合の生活とは個人生活である前に、生産共同体としての集落の生活だった。
著者は最後に、
「カムイ伝」は時代を超えて、むしろ今のためにあるのではないか。
と結んでいる。
これは家にある岩波の子どもの本シリーズの一冊「ちびくろ・さんぼ」。
1978年7月1日に発行された第28刷で、第1刷は1953年12月10日。
娘が生まれたときに買ったもので、よく読んだので、中のページも破れた箇所にテープを貼ってあるが、外表紙もテープで補修がしてある。
人形劇サークルで活動していた頃、この作品をペーパー・パペットで制作したが、どこで上演しても大人気だった。
ところが、1988年12月に絶版となる。
☆ さてさて、いつまでもパソコン前に座ってなくて、明日の準備をしなくては。