一ノ瀬信子さんの訃報

※ 先月新聞の片隅に、一ノ瀬泰造さんの母信子さん死去の報があった。
1947年生まれの報道写真家一ノ瀬泰造は73年11月、内戦中のカンボジアクメール・ルージュに捕えられ殺された。26歳だった。
信子さんは息子の死後45年を生き、2018.12.3 96歳で死去した。

写真家石川文洋(1938~)は2003年の徒歩の旅で、11月14日佐賀県武雄市を訪れ母信子さん(当時81歳)に会っている。
9歳違いの石川文洋一ノ瀬泰造ベトナム戦争を通じても親交があった。

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ベトナム戦争で使用し、銃弾が貫通した一ノ瀬泰造のカメラ。





JR九州佐世保線の駅「武雄温泉駅」のモダンな駅舎

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武雄市のこれら2枚の写真はわたしの歩き旅時のもの。
2014年の旅のルートは小倉~熊本だったが、久留米からそのまま南下せず、わたしも文洋さんと同じように佐賀→武雄→東彼杵→諫早→国見→島原→熊本と回り道した。

東彼杵では、施設に入所している聾唖の息子の面会の帰りだという60歳の女性と出会った。
今も毎月面会に訪れていることだろう。
国見の宿「松栄」のおかみさんは愛媛県久米町出身だった。
諫早堤防道路を車で案内してもらったり親切にしていただいた。

オーム信者に殺害された坂本弁護士の母さちよさんは、2018年の7人の死刑執行時86歳で、これで良かったのかどうかわたしにはわからないというコメントを寄せていた。
理不尽に子供の命を奪われた母の想いとその後の生き方に心を寄せたい。



※ 薬を飲み始めて4日目、だんだんと咳も減り、食欲も出てきた。