再び「万引き家族」について

※ 「万引き家族」のあるテーマが数日頭に浮かんで消えないので、これはブログに書かないとと思った次第。

 

治も信代も両親や友だちから存在を否定されて育ってきた。

ある日ゆりがなかなか帰ってこない祥太の身の上を案じている様子に驚く。

親から虐待を受けていた5歳の女の子が、どうしてそんな優しさが持てるのかと。

信代は母親に産まなきゃよかったと言われ続けてきた。

ゆりが性格の歪んだ子でいてくれたら、信代は自分の性格や意地の悪さを諦められた。

しかし、ゆりみたいな子がいたら、自分の欠点は自分の責任だと認めざるを得なくなる。自分の不幸は母のせいだったと思いたい。

 

信代のこの考えは甘えなのだろうか?

しばしば私もある人物の人となりをその環境から推しはかり、自分を納得させることがある。

 

是枝裕和は、存在を否定されて生きてきた人間でも、人に優しくなることができる。全てを環境のせいにはできないと言っているのだろうか?

ここで思い出すのは、永山則夫の精神鑑定を行った精神科医石川義博氏のことだ。

石川医師は長い年月をかけて鑑定を行い、永山の大人として成熟していない点をその生育歴から指摘した。

ところが永山は「別の人の鑑定書のようだ」と他人事のように述べた。

結果裁判では精神鑑定書が採用されなかった。

以後石川医師は犯罪心理学から離れ、臨床医として活動した。

しかし、永山則夫はその鑑定書をぼろぼろになるまで読み込んでいたことを石川医師は永山の刑の執行後知る。

鑑定書は裁判で採用されなかったが、自分の仕事が徒労ではなかったことを知った。

 

劣悪な環境の中でも優しさを失わない人間がいる。

そしてそのことに感動する人間がいる。

 

 

※ 11月14日付け新聞の片隅に、小さな死亡記事が載っていた。

「熊本典道さん83歳 11日死去。葬儀は関係者だけで営む。」

1966年の袴田事件で死刑を言い渡した1審・静岡地裁で判決を起案する主任裁判官を務めた。

2007年に記者会見で「無罪の心証があった」と告白し、袴田巌元被告(84)の再審請求への支援を表明した。

 

苦難の人生だった。この人のことはもっと研究されねばならない。