「ヒロシマ通信No.634」より
※ 竹内氏のヒロシマ通信No.634に、以下のような文章があった。
・・・品川区の戸越銀座と呼ばれる商店街は今でもとても賑やかな場所です。ここからもとてもたくさんの人たちが満洲へ行ってその多くが帰って来ませんでした。町の一角には戦後になって慰霊碑も立てられています。農民ではない人たちがどうして自らの商店をたたんで満洲へ行ったのか?・・・
もう20年近く前になるが、長男は1年弱品川区中延に住んでいた。
五反田から都営浅草線で南に向かうと、一番目が「戸越」二番目が「中延」の駅だ。
頻繁に訪れたわけではないが、落ち着いた住宅街の印象だった。
ここから満洲へ渡った人がいたとは知らなかったが、そういうことを知ると慰霊碑も訪れてみたくなる。
竹内氏のヒロシマ通信にはそういった興味を掻き立てる地名が多く出てくる。
コロナが収まり私の体もしゃんとしたら東京も散策したい。
※ 春のような陽気の一日だった。
長尾のスーパーへ買い物に行き、わかめの芯、新潟の紅あずま5kg箱など買ってくる。
まだまだストーブの世話になるので焼き芋を作ろう。