『希望難民ご一行様』 古市憲寿著 光文社新書

☆ 12/1~9 日韓合同ピースボートクルーズに参加した。
 
乗船中、講座やトークを受け持つ人を水先案内人と呼んでいたが、略称水案の一人がこの若手社会学古市憲寿氏で、このおちょくったような表題に惹かれて本を買った。
 
イメージ 1 内容は、ピースボートに乗船する主に若者たちを社会学的に考察したもので、2009年に提出された彼の修士論文がベースになっている。
 
私は同年代から少し上の参加者の実態に興味があったが、この船は社会学者としてはたいそう興味深いだろうと想像された。
 
私も同行した友人も話しかけられれば応対するが、自ら進んで声をかけるタイプではない。 なので、少し感想に偏りがあるやもしれぬが、まずリピーターの割合が多く、当たり前のことだが参加者が特に社会的関心や知識が豊富だとは思えなかった。
人の話を聞こうとする人よりは、自らの思いや意見を表出したい人が多い。
人間観察のチャンスに溢れており、やはり社会学者である宮台真司開沼博らの水案も乗船していた。 他に山本太郎や上原公子、飯田哲也雨宮処凛らも予定されていたが、選挙の直前で乗れなくなった由。
最も多く聞いた講座は元東芝原子力プラント設計技術者後藤政志氏の話。 資料が豊富だし、難しい話をわかりやすく解説してくれた。
ルポライター鎌田慧氏の話もよかった。 他に前内閣広報室審議官下村健一氏、環境活動家田中優氏、平和学の木村朗氏も記憶に残った。
 
 
最終日の9日、福岡県田川市で『真岡炭鉱第三坑殉職者慰霊碑』を見学した。
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1945年の枕崎台風の折、坑内で殉職した16歳の朝鮮人少年の本名が創氏改名のため判明せず、64年ぶりに遺骨収集の資料から韓国に問い合わせ、除籍簿から知ることができた姜相求(カンサング)少年。
 
この碑は事故から30年後の1975年に建てられたが、カンサング少年の名が判明し、その名が刻まれたのは2009年のこと。
この日のガイドをしてくれた横川さんの尽力の賜物だ。
書体が違っているのはそのためだ。
雪が舞う寒い日で、見学の後私は階段で転んだ。
 
 
 
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豊洲炭鉱坑口』で解説する横川さん。
 
ここは民家脇から入る坑口で、案内板も何もなく、個人で来たのでは見つけられない。
入口の傾斜はきつく、注意が必要だ。
 
今回の旅で、私はこの横川さんの人となりに最も感銘を受けた。
 
 
 
 
 
 
下船しても2~3日は体が揺れていた。
1日~9日は日本も全国的に荒れ模様だったそうで、船も甲板に出られる時はほとんどなかった。
 
先に書いた慰霊碑見学で転んだ後、左肋骨が痛くなった。
デジカメを左手に持っていたため、とっさにカメラをかばおうとし、左肘で胸を打ったのだろうと思った。
帰宅して6日が過ぎるが、昨夜風呂上がりに痛さを我慢しストレッチをしていたところ、痛みのある部分で『コツッ』と音がしたような感覚があり、今日は午前中念のためにと整形外科を受診した。
レントゲンを撮ったら、8番目の肋骨が折れており、固定帯をつけ、湿布薬を処方してもらい帰宅。
 
ヒビくらいは入っているかもと覚悟していたが、骨折は予想してなかった。
歳をとると無理は禁物と反省した。
しばらくはウォーキングもストレッチもお休みだ。