『希望難民ご一行様』 古市憲寿著 光文社新書
☆ 12/1~9 日韓合同ピースボートクルーズに参加した。
私は同年代から少し上の参加者の実態に興味があったが、この船は社会学者としてはたいそう興味深いだろうと想像された。
私も同行した友人も話しかけられれば応対するが、自ら進んで声をかけるタイプではない。 なので、少し感想に偏りがあるやもしれぬが、まずリピーターの割合が多く、当たり前のことだが参加者が特に社会的関心や知識が豊富だとは思えなかった。
人の話を聞こうとする人よりは、自らの思いや意見を表出したい人が多い。
最終日の9日、福岡県田川市で『真岡炭鉱第三坑殉職者慰霊碑』を見学した。
この碑は事故から30年後の1975年に建てられたが、カンサング少年の名が判明し、その名が刻まれたのは2009年のこと。
この日のガイドをしてくれた横川さんの尽力の賜物だ。
書体が違っているのはそのためだ。
雪が舞う寒い日で、見学の後私は階段で転んだ。
『豊洲炭鉱坑口』で解説する横川さん。
ここは民家脇から入る坑口で、案内板も何もなく、個人で来たのでは見つけられない。
入口の傾斜はきつく、注意が必要だ。
今回の旅で、私はこの横川さんの人となりに最も感銘を受けた。
下船しても2~3日は体が揺れていた。
1日~9日は日本も全国的に荒れ模様だったそうで、船も甲板に出られる時はほとんどなかった。
先に書いた慰霊碑見学で転んだ後、左肋骨が痛くなった。
デジカメを左手に持っていたため、とっさにカメラをかばおうとし、左肘で胸を打ったのだろうと思った。
帰宅して6日が過ぎるが、昨夜風呂上がりに痛さを我慢しストレッチをしていたところ、痛みのある部分で『コツッ』と音がしたような感覚があり、今日は午前中念のためにと整形外科を受診した。
レントゲンを撮ったら、8番目の肋骨が折れており、固定帯をつけ、湿布薬を処方してもらい帰宅。
ヒビくらいは入っているかもと覚悟していたが、骨折は予想してなかった。
歳をとると無理は禁物と反省した。
しばらくはウォーキングもストレッチもお休みだ。