旅報告その2

6/7(土)
長万部~八雲 30km
内浦湾を左手に、函館本線は何度か渡る跨線橋で国道の左右に入れ替わる。
黒岩駅前に整備された公衆トイレがあり、ベンチもあったのでおにぎりを食べた。
コンビニがないところは、こういったトイレがあれば、歩くものにとってありがたい。

宿は改築2年目の新しい建物で、昼間はドッグ・カフェをやっているという犬好きのご夫婦が経営している。

6/8(日)
八雲~落部 17km
宿のおかみさんとゴールデンレトリバーのワンちゃんに見送られて出発。
今回の最短距離なので、ゆっくり歩く。
山越内関所辺りで、森町まで行くのでよかったら乗りませんか?と声をかけてくれたドライバーあり。
歩き旅なんだから乗り物に乗るわけにはいかない。
丁重にお断りした。

右肩の凝りを強く感じる。
今回はリュックの重さを量らなかったが、昨年8kgだったので似たようなものだろう。
宿に着くが誰もいない。
一階が食堂になっていて、そこに座って子供たちへの旅報告葉書を書く。
しばらくすると、すぐ近くの小学校でやっていた運動会に行っていたと、家の人が帰ってきた。

夕方のTVニュースで秋葉原の通り魔殺人を知る。
犯人は我が家の長男と同い年だ。
サカキバラ事件の犯人も同年齢だったことなど思い出す。
一方で、コソヴォの紛争では、わたしの子供たちの世代が亡くなったり傷ついたりしたことも思う。

6/9(月)
落部~赤井川 30km
リュックを背負っていると、30kmはだいたい9時間かかる。
道の駅「You・遊・もり」で、ちょうどお昼になったので、塩ラーメンを食べた。
ここはゴミ箱が一切なく、自販機で買った空きビン・カンも捨てられないので、道路のポイ捨てを増やしていることだろう。

とても日差しが強い日で、眼が疲れた。
今回はサングラスを用意したが、重宝している。
宿はわたしと同世代のご夫婦で経営するペンション。
しゃれていて清潔感があり、食事もおいしかった。

6/10(火)
赤井川~函館 30km
今回はじめてのパン朝食で、コーヒーとともにおいしくいただいた。

うす曇で歩きやすい。
赤松街道といわれる道の両サイドに樹木があることも、歩き旅の者にとってはうれしい。
「桔梗」辺りを歩いているとき、小学校の下校時刻と重なった。
すれ違った小学生がわたしのところに戻ってきて、「おばちゃん!おとこ?おんな?」と尋ねた。
最初におばちゃんと言ってるのに、どちらか尋ねるのがかわいい。
おんなだよ!と返事すると、顔を見せてという。
わたしのいでたちは、帽子の下は日本手ぬぐいで頬と口元を覆い、サングラスをかけている。
手ぬぐいを留めてある安全ピンを外して顔をみせると、ほんとだ!という。
「おばちゃん、そんな格好をしているから泥棒かと思った!」と正直な感想を述べる。

宿に到着後荷物を下ろして、五稜郭を訪れる。
展望タワーから眺めると、本丸は改修中だった。

6/11(水)
函館~青森
移動はフェリーで。
宿からフェリーターミナルはちょうど1時間かかった。
フェリーは大きく、入浴設備もあった。
わたしのいたフロアは独り占めで、ゆったり過ごせた。
青森側フェリーターミナルから、この日の宿までは歩いて40分。

6/12(木)
三内丸山遺跡見学。
佐原真さんの紹介を見てから、ずっと訪れたかったところだ。
新人のボランティアガイドさんの案内で、遺跡をまわる。
まだまだ未知の部分がほとんどで、歴史はまた書き換えられるだろうと思った。

遺跡と同じエリアにある県立美術館で、チケットを買い間違えるという大失敗をした。
常設展を見ようとしたのに、特別展のチケットを買ってしまった。

午後は駅前に戻り、レンタルサイクルで市街地をまわる。
自転車はなんと速い乗り物かと思う。
マップをたよりに、寺山修司棟方志功沢田教一伊能忠敬などのゆかりの地表示板をまわり、少し離れた棟方志功記念館へ向かう。

6/13(金)
東京へ移動。
羽田から新宿へ向かうリムジンバスは渋滞しており、高速道路をゆっくり走った。
明日・明後日の都内周遊に備えてパスモを求める。
昼過ぎに娘の部屋に着き、遅めのお昼を食べたあと、CDを聴きながらあまりに汚れている部分だけ掃除する。
洗濯機を3度も回した。

6/14(土)
娘と東京散策初日。
岩波ホールで「花はどこへいった」を観るために神保町へ出るが、少し時間があったので本屋を覘く。
手にした鶴見俊輔「限界芸術論」-笠置シズ子の意味-が面白くて、重そうな単行本なのに買ってしまった。
1968年9月発行の第二刷定価750円が倍の1500円だった。
鶴見の全集は出版され続けるだろうが、これが全集に入っているかどうかは知らない。

映画は初日のため、坂田雅子監督の挨拶があった。
ベトナム戦争時に使用した枯葉剤ダイオキシンの今に至る影響を描いたドキュメンタリーだが、社会が隠そうとする事柄をいつも知ろうとすることが大切だと思う。

両国へ移動し昼食のためラーメン屋にいるとき、地震のニュースをみた。
午後はまず、横網町公園復興記念館東京都慰霊堂朝鮮人犠牲者追悼碑を訪れる。
復興記念館関東大震災東京大空襲の遺品が展示されている。
慰霊堂には双方の犠牲者の遺骨が納められているという。
娘と二人1本30円のろうそくと線香をそれぞれ供えた。
関東大震災時、無辜の朝鮮人が虐殺されたことを追悼する碑は、花が枯れたままで寂しさが募った。

次に大江戸線で「中井駅」へ移動。
林芙美子記念館は案内板が多くすぐにわかったが、時間切れで外からのみ眺める。
竹の多い庭で落ち着いた雰囲気だ。
その後一の坂を登ってすぐにあるという坂口安吾の片想いの相手「矢田津世子」の家を探すが見つからなかった。

夕食は中村屋のカレーと決めていたが、その前に隣のコニカミノルタプラザで、DAYS JAPANのフォトジャーナリズム写真展を観たが、これも重い作品がそろっていた。

中村屋本店は1910年代にエロシェンコ高村光太郎などが集った。
なにか当時を偲ばせるものがあればと思ったが、残念ながらなにもなかった。
当時の味に最も近いといわれるインドカリー(1470円)はとてもおいしかったが・・・。

私が持っているみすず書房エロシェンコ作品集気領表紙にも、中村屋でヴァイオリンを弾くエロシェンコとピアノをひく相馬黒光(夫の愛蔵とともに中村屋を開業)の写真がある。
エロシェンコはまた、大杉栄刃傷事件で監獄にいた神近市子を、秋田雨雀とともに1919に迎えに行っている。
中村屋は森ビルでも営業しているようだが、せめて本店は当時を偲ばせる片鱗でも欲しいものだ。
「己の生業を通じて文化、国家に貢献する」という創業者の精神は、この日の食事ではうかがえなかった。

6/15(日)
はとバス一日観光
丸の内界隈・森ビル・国際会議場(食事&相田みつを美術館)・浅草仲見世隅田川下りで一日が終わる。
夜行バスで香川へ。

きょうは帰宅4日目だが、不調の膝も元にもどりつつある。